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zoom RSS 昭和35年の千葉大学受験生向けの大学案内(沿革・学部展望)

<<   作成日時 : 2017/08/19 13:26   >>

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昭和35年の千葉大学受験生向けの赤本(教学社)に載っていた千葉大学の『大学案内』の『沿革』、『学部展望』を載せてみる。

ただし、ブログ記事であるので、入力方法を変更したところがある。




千葉大学案内

沿革

 千葉大学は, 千葉医大(大正12年創立), 付属医専(昭和14年), 付属薬専(大正12年), 千葉農専(明治42年), 東京工専(大正8年), 千葉師範(昭和18年), 千葉青年師範(昭和19年), 東京医科歯科大予科(昭和21年)の各校が合併して, 昭和24年に発足した。

 このように多くの大学から各学部ができたために, まさに「タコの足」大学で, 学部ごとに所在地が異なっている。

学部展望

 医学部はこの大学のうちでももっとも充実した学部ということができる。その母体となった旧千葉医大が単科医大の名門であったことを思いあわせるならば当然といえよう。東大と同時に博士課程の大学院が設置されたことはその充実ぶりを裏書きしているといえよう。

 医学部は充実してはいるが, さして独特のものとはいえないかもしれない。全くユニークなものに工学部がある。これはもとの東京工専が母体となったもので, 大正末期から昭和の10年代にかけて, 芝浦周辺を黒ネクタイ, 黒背広で濶歩した東京高等工芸時代が脈々と残っていて, 印刷・写真・工業意匠科という特異の学科をもち, 各業界からも高く評価されている。

 ところで本学にはもう1つ特異な存在, 国立大学中にただ1つの園芸学部がある。一般の大学にある農学部と類似はするが, 園芸学科や造園学科などのユニークな存在を誇っている。

 薬学部は千葉医大付属薬専が母体となってできたものではあるが, その沿革をたずねると, 古く明治23年に設立された第一高等学校医学部薬学科にその端を発している。この古い伝統と充実した教授陣は定評のあるところで, 薬剤士国家試験の合格率も非常によい。

教育学部は他の国立大学の教育・学芸学部と同様に, 師範の昇格したものでこれという特色はない。

 また, 文理学部は東京医科歯科大予科を前身とするもので, 32年度までは東京医科歯科大の進学課程をも引き受けていた。他の大学と学科内容が少しく異なり, 人文科学課程・社会科学課程・自然科学課程の3課程に分れ, さらに専門課程では人文(哲学・心理学・史学・文学), 社会(法学・政治学・経済学・社会学), 自然(数学・物理学・化学・生物学・地学)の各専攻に分れることになっている。1つの狭い専攻だけに偏らないで, 広い教養を身につけるところに特色がある。



「薬剤士国家試験」は「薬剤師国家試験」の間違いだと思われるが、そのまま入力した。



濶歩(=闊歩)(かっぽ):大またにゆっくり歩くこと。
 


なお、東京高等工芸学校は東京ローカルの学校だったようである。


1944年(昭和19年)4月1日、東京工業専門学校と改称。


また、多浪でも入学することができる学校だったようである。




東京高等工芸学校入試研究

 高工と云つてもこの高等工芸は甚だ特殊な学校であつて、入学者の半分以上は東京の出身者である。それは真に工芸の各科の何たるやの意味が徹底してゐないのと、地方の人は手先が不器用だといふ理由による。

 東京高工芸の創立は大正八年で第一回の生徒募集は十一年であつた。科目は次表の五科二部で最も人気のあるのは精密機械科であるが、他の科も決して閑散なのではなく甚だ特殊なのである。大々に専門的の精しい技術を教へる意味に於て他高工とは異つた特色がある。試験科目は科によつて違ひ相当複雑であるが、英語(英文和訳、和文英訳)数学(代数、平面幾何、三角)図画(鉛筆画)は各科に共通で、金属、機械科には物理学。印刷科、写真部には化学。図案科には図案が加へられる。

 英文解釈は三題、和英は一題、配点は百点で四題ともに相当長文である。これは実力を見るのに適当だといふ見地からで、こゝでは全体の意味をはつきり掴み意訳的でよい。時事問題も出されるから雑誌とか英字新聞等によつて新語を勉強することが必要である。

 数学は代数四、幾何二、三角二の八題で配点は百点出題方針は教科書中心主義で複雑な計算、解法に技巧を要するものは出題されないが、答案は一点一割雖も正確に書くやうにしなければならない。鉛筆画は平素からの練習が必要で静物写真等を研究して物質感を表現するやうにすること、物理、化学もやはり教科書中心でやることが肝要である。

 本校は真面目な、勤労を嫌はない人を求めてゐて、運動選手などは先づ望みがない程歓迎されない。中学時代の成績はさ程重視せず、飽まで入試の成績を中心としてゐるから、浪人は安心して進むべしである。現役から入つた者は各科二、三人で浪人一年、二年、三年が多く、長いものは浪人五年も入つてゐるから心配することはない。又近来は地方の人も入つて来てゐる。

 次に競争率を示すと、


工芸図案科
・志願者数:179人

・採用数:22人

・競争率:8.1倍

・昨年度競争率:6.5倍



工芸彫刻科
・志願者数:14人

・採用数:5人

・競争率:2.8倍

・昨年度競争率:6.5倍



金属工芸科
・志願者数:120人

・採用数:15人

・競争率:8.0倍

・昨年度競争率:7.9倍



精密機械科
・志願者数:551人

・採用数:40人

・競争率:11.3倍

・昨年度競争率:10.0倍



木材工芸科
・志願者数:157人

・採用数:25人

・競争率:6.3倍

・昨年度競争率:6.3倍



印刷工芸科
・志願者数:148人

・採用数:20人

・競争率:7.4倍

・昨年度競争率:5.2倍



写真部
・志願者数:95人

・採用数:8人

・競争率:11.9倍

・昨年度競争率:5.4倍



木工別科
・志願者数:24人

・採用数:15人

・競争率:1.6倍

・昨年度競争率:1.8倍

で一般に昨年よりも競争は激しくなつて来た。




高等工業学校入学の要領』(中上川義一郎。富勘書院。昭和13年)p 73〜75
漢字は今使われている漢字に直したところがある。
英語は英文和訳と和文英訳しかないはずなのに、英文解釈の話が出てきたり、句読点のうちかたがおかしいが、そのへんは原文通りに入力した。競争率のところの数字は漢数字であったが、読みやすいように算用数字で入力したし、ブログであるので入力方法を変更した。

なお、東京高等工芸学校の入試統計はわからなかったようであるが、横浜高等工業学校(横浜国立大学の前身)の入試統計はわかったようである。




横浜高等工業学校 機械工学科
入学者最高点:182点(200点満点)(得点率:91.0%

入学者最低点:125点(200点満点)(得点率:62.5%



横浜高等工業学校 応用化学科
入学者最高点:180点(200点満点)(得点率:90.0%

入学者最低点:120点(200点満点)(得点率:60.0%



横浜高等工業学校 電気化学科
入学者最高点:180点(200点満点)(得点率:90.0%

入学者最低点:106点(200点満点)(得点率:53.0%



横浜高等工業学校 建築学科
入学者最高点:250点(300点満点)(得点率:83.3%

入学者最低点:115点(300点満点)(得点率:38.3%



横浜高等工業学校 造船工学科
入学者最高点:190点(200点満点)(得点率:95.0%

入学者最低点:135点(200点満点)(得点率:67.5%





高等工業学校入学の要領』(中上川義一郎。富勘書院。昭和13年)p 17〜18の入試統計。
この入試統計は1937年(昭和12年)頃の筆記試験の統計のようだ。筆者が直接横浜高等工業学校に問い合わせたらその返事が来たので、それを載せたとのこと。なお、得点率は私が暗算と電卓で計算したものである。

横浜高等工業学校に航空工学科が1938年度(昭和13年度)から開設された。
それなのに、航空工学科の入試統計が載ってない。
したがって、1937年度(昭和12年度)以前の入試統計であると思われる。

もともと、横浜高等工業学校に1939年度(昭和14年度)から航空工学科が開設される予定だった。
しかし、時局が急を要するため、急遽、1938年度(昭和13年度)から航空工学科が開設された。
そのへんのいきさつはこの本p 45に書かれている。







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