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zoom RSS 長くたてば慣れっこになって、弊害を弊害と感じなくなる(昭和28年)

<<   作成日時 : 2008/01/15 17:44   >>

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朝日新聞 東京版 昭和28年1953年)2月17日 火曜日 12版 6面 学芸
心細い 新制大学 相良 守峯(さがら もりお

 ようやく 発足したばかりの 新制大学に けちを つける ことは 心なき わざでも あり、気の ひける ことで あるが、前途 はなはだ 心細い 気が するので 一筆 書かして もらう ことに する。

卒業生 売込み

 毎年の ことだが、今ごろの 時期に なると 地方の 大学の 学部長だとか 各 学科の 主任 教授と いうような 人々が、教職員の 補充の ために よく 上京される。そういう 人たちの 話を 総合して みると、大体 つぎの ような 実情で ある ことが わかる。

 新制度に なって、各地に 大学が できたが、もっとも 多数なのは 旧制の 高等学校が 切りかえられて 文理学部 もしくは 法文学部と なった もので ある。しかるに 旧制 高等学校で あった 時代は、そこを 出た 学生は 努力 次第で 東京なり 京都なりの 国立大学に はいれるので、各地方の 秀才は 一応 その 地(←原文では、「その他」となっていたが、文脈から考えて、こう直して、入力した)の 高等学校に はいり、いわゆる 青雲の 志を いだいて 意気けんこうたるものが あった。すなわち 各地の 高等学校は それぞれ 権威を もって いた。しかるに これが 大学に 昇格して みると、一度 ここに 入学した ものは 結局 その 大学を 卒業する のが 当然の たてまえで あるが、ここで 困るのは 地方の 卒業生は はなはだ 就職に 不便だと いう ことで ある。東京や 大阪の 大会社、大銀行に はいるのには いろんな 点で 困難が ある。いきおい 小都市の 市役所や 地方銀行や 地方 新聞社に はいる ことで 甘んじなくては ならない。しかし それだけでは 到底 はけ切れないから、いきおい 大学に 就職あっせん委員会の ような ものを つくって、教授たちが わざわざ 東京などへ 出てきては、縁故を たどって 頭を さげて 卒業生を 売りこむのに 狂奔する ことに なる。聞くだに 辛い はなしで ある。

大学 ピンから キリまで

 そういう みじめな ことに なりたく ない 秀才は
どうしても 東京あたりの 一流の 大学に はいらなくては ならぬ。

と 思いこみ、その 土地の 大学を しりめに かけて 東京に 殺到し、ここに 旧に 倍する 入学難、試験地獄が 現出する ことに なる。ある 種の 私立では 数十万円と いう ソデの 下を つかって、もぐりこむと いう 手も おこなわれて いると いう 話で ある。一方には また
どんな 鈍才でも いいから。

と 駆り集めても、なお 入学 希望者が なくて 経営 不可能と いう 大学も あるので ある。

 いくら 民主主義だからとて ピンから キリまで ある 学校を 全部 大学に するとは 気が 知れない。そのため かえって 具合が わるく なるので ある。

勤務地 手当の 不当

 各地に 大学が できれば、文化の 中心が ドイツや アメリカの ように 散在する ことに なり、中央集中の 弊が のぞかれると いう ことが、新制度の ねらいの 一つで あったで あろう。ところが それは 必ずしも 実現されつつ あるとは いえない。学生の 動向に ついては 前に 述べた とおりで あるが、一方 教師の 側を 見ると、戦前には 若い 学者は どんな 遠い ところでも 高等学校の 先生と して よろこんで 赴任した もので ある。ところが 近年は 大学の 先生と なるのに 地方には 行きたがらない。のみならず、地方の 大学の 職に あるものも、殊に 優秀な 学者は しきりに 東京付近に 職場を 転じたがる。いきおい 中央から 遠い 地方に ある 大学は 常に 教師の 欠乏に なやんで いる。こういう 傾向を 助長して いるのに 収入の 問題が ある。
大学教授では 食えない。

と いうのは 近ごろの 合言葉で あるが、東京の ような 大都会なら
かけもちの 講師の 口を さがすとか、
雑誌に ものを 書くとか
いう 便宜も あるが、地方では それが きかないので ある。

 加うるに、これは 国立大学の 場合で あるが、勤務地の 手当と いう ものが 東京、大阪あたりなら 2割 5分ぐらい つくのに 地方だと ただの 5分しか つかないと いう ような 困った 事情が あるので ある。これは むしろ 逆に して、北海道や 四国の ような ところは 5割ぐらいは 出して もらわないと 困るのだ。教師が 得られないからで ある。

大学院だけの 学校を

新制度に なってから 学力が 低下した。

と いう 声を いたる ところで 聞く。しかし
学者に なるには 大学院に はいれば よいでは ないか。

と いう 人も いる(←原文では、「ある」となっていたが、こう入力した)。私立は 昨年から、国立は 今年から ボツボツ 大学院を 設置するようで あるが、博士や 修士を 養成できるほどの 大学者が そんなに 大ぜい いる わけは なし、厳密に いえば 総合的な 大学院を おく 資格の ある ほど 教授陣や 設備の ととのった 大学など 5本の 指で かぞえる ほどしか ないので ある。従って 大学院を おけない 多数の 大学の 卒業生で
ほんとうに 学問を したい。

と 思う ものは、よその 優秀な 大学院に はいる ことを 望む わけで あるが、そういう 大学院は、例えば 東大などは 予算の 関係も あって きわめて 少数の 定員しか とらないので、ほとんど はいる 見込みが ないと いう 実情で ある。それならば どうしたら 多数の 向学の 学生に 高度の 学習の 道を ひらいて やれるか。それには 現在の ような 内容の 乏しい 大学院の かわりに、国立の 場合ならば 全国に 2つか 3つの 大きな 充実した 大学院だけの 学校 もしくは 研究機関を 設ける ことで ある。

 以上は 幾つかの、主と して 地方の 大学の 教授たちから きいた 話を 総合した もので ある。もちろん 例外は あろうし、学部に よっては 事情の 違う ところも あるで あろう。また 新制度の 長所よりは 短所だけを とり上げたと いう きらいも あるに 違いは ないが、しかし 大体が 上述の ような 状態で あると すると 前途が 思いやられるし、一日も 早く 改む べきは 改めるように 研究する 方が よいので、識者の ご一考を わずらわしたいと 思うので ある。
長く たてば 慣れっこに なって、弊害を 弊害と 感じなく なるから、それまで 待って いろ。

と いうなら また 別問題で ある。 (東大教授、ドイツ文学、文博


朝日新聞 東京版 昭和28年1953年)2月17日 火曜日 12版 6面 学芸 人 さまざま
文化的 経済学者 辛らつな 筆 伊藤 整

 伊藤 整は いつも 自分自身を 四方八方から ながめて いる。他人が 自分に ついて どのような 評価を するか、また しているかと いう ことを だれよりも よく 知って いる。したがって、もし この 文章で 彼の ことを 散々 悪口を いっても、彼は ニヤリと して
もう それっきりですか、まだ ありますよ。

と いって、こんどは 彼自身の 方で 自分の 欠点を たくさん 数え上げるだろう。その 代り、たとい 彼を 誉めちぎっても、彼は 少しも 照れず 同じ ように
たった それっきりですか。

と いって 不服そうな 顔を して みせるだろう。

 つまり、ひと口で いうと、なかなかの したたか者なので ある。あの 気の 弱そうな、おとなしい 風ぼうにも かかわらず、しんは 実に 強いのだ。その 上に、チャタレイ事件が 彼を 更に 強く 育て上げた。彼が この 事件で いかに 大きく 成長したかと いう ことは、作品 「裁判」や 「伊藤 整 氏の 生活と 意見」を 読めば 明らかで ある。先日の 控訴審の 判決で 彼までが 罰金刑を 言渡されても 少しも 驚かず
裁判官が このように 判決した ことは 一種の 勇気を もって いると みられて なかなか 面白い。

と うそぶいて いる。これから 上告の 判決が 下るまで、裁判官たちは 彼の 辛らつな 筆で 散々に からかわれるで あろう。

 伊藤 整は 明治 38年 北海道の 小樽に 生れた。彼の しんの 強さは、寒国に 生れた ためで あるかも しれぬ。彼は 最初は 詩人と して 出発した。「雪明りの 路」と いう すぐれた 詩集が ある。彼は 小樽高商を 卒業し、東京商大を 中途退学して いる
商業の 学校に 学んだ。

と いう ことは 注意されて よい。彼の 小説や 評論に 現れて いる 一分の すきも ない 計算の 確かさは、彼の 知性の 鋭さに よる ことは もちろんで あるが 文学的 経済的とでも いった ものを 身に つけて いる ことにも もとづいて いる。金もうけが うまいと いう 意味では ない。頭の 働かせ方に むだが ないので ある。情念の 浪費は しないので ある。

 そのために 彼は 小説よりも 評論に、と いうよりも 小説と 評論を 兼ね具えたような 作品を 書く ことに 長じて いる。「得能五郎の 生活と 意見」、「鳴海仙吉」は その 傑作で ある。また 社会の 事象や、特定の 人物を そ上に のせて、おだてたり、ひやかしたり して からかう ことは 彼の 独壇場で あって その 点、内田 百閧フ 後継者と 考える ことが できる。

 彼は もとより 秀才で あるから、なかなかの 勉強家で ある。大学の 教授も 立派に つとまる 人で ある。小説の 歴史や 技法に ついても 詳しく、また 明治 大正 昭和 三代の 文学にも よく 通じて いる。彼が 目下 「群像」に 連載中の 「日本文壇史」は 画期的な 仕事で あって 彼の 長所と 勉強が 最も よく 生かされた 力作で ある。日本も もし 本当に 文化国家を 志すならば、伊藤の 如き 文学者を 何よりも 大切に し、チャタレイ事件の 如き 根本的に まちがった 裁判ざたで、この 有為の 文学者の 仕事の 邪魔を しないが よい。 (天地人


旧制 高等学校で あった 時代は、そこを 出た 学生は 努力 次第で 東京なり 京都なりの 国立大学に はいれるので、各地方の 秀才は 一応 その 地の 高等学校に はいり、いわゆる 青雲の 志を いだいて 意気けんこうたるものが あった

と記載してあるが、『伝統校”と 進学実績の 戦前・戦後 ー 一高・東大生の 輩出校 調査を 中心に』(山口 健二・保田(三家)その (京都大学 大学文書館)(Keyword:旧制中学校,新制高等学校,受験,伝統の創造)の『2. 分析の 方法』の『2.2.注意点
には
 問題に なるのは 旧制高校と 新制大学を ー われわれの 関心から いえば 旧制の 一高と 新制の 東大を ー 同列に 考えることで ある。なぜなら 旧制高校は、最終学歴と なる 教育機関では なかったからで ある。旧制高校の 卒業者は ほぼ 全員が 帝国大学を はじめと する 官立大学に 進学する。しかも 最終的に 東京帝国大学の 学歴を 得るためには、必ずしも 一高に 入学する 必要は なかった。どの 旧制高校からでも 東京帝国大学への 進学は 可能で あり、実際に どこも 東京帝国大学への 進学者を 多数 輩出している。とくに、大正期に 各地に 高等学校(地名校)が 増設されてからは、高校設置県の 中学生たちは、東京の 一高に 進学するより 地元の 新設高校を 経て 帝国大学に 進学することが 多かった

 しかし それでも、一高と ほかの 高等学校が 同格で あるとは いえない。一高の 出身者は、浪人を したと しても 多くが 東京帝国大学への 入学を 果たして いた ようで ある。国内 七帝大の うち、一高生が 東京以外の 帝国大学を 目指すのは まれで あった。また 一高は 難易度が とくに 高く、エリートと しての 自負心が 強かったことで 知られている。地方の 旧制 中学生 ないし 新制 高校生からすれば、旧制の 一高 ないし 新制の 東大は、“郷里”を はなれても あえて 進学する 価値の ある 別格の 高等教育機関で ある。その 点で やはり 共通性を 認めるべきだと いうのが われわれの 見解で ある。

(←『一高とは、『第一高等学校のことである
と記載されている。

 また
入学難、試験地獄が 現出する ことに なる

と、上記新聞記事に書かれているが、実際には、入試のために、睡眠時間を削って、勉強する必要は全く ない

 このことは、私が書いたブログ記事である
http://supplementary.at.webry.info/200705/article_14.html
の『教育改革の幻想』(著者:苅谷剛彦。発行所:株式会社 筑摩書房。2002年1月20日第1刷発行。2004年4月10日第8刷発行。ちくま新書329 ISBN:4480059296)を引用した箇所を読めば実感できるだろう。

 また、現時点で、私が理想としている教育の一部は
http://supplementary.at.webry.info/200704/article_17.html
に記載した。

 ちなみに、東京商科大学は、今の一橋大学の前身である。


 なお、このブログに載っている新聞記事は、著作権の保護期間がきれているので、転載自由とする。ちなみに、朝日新聞 東京版は、札幌市中央図書館で、コピーしたものであり、現代、一般的に用いられている文法、漢字などで入力したものもある。









 

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