昭和28年1月頃の興味深い新聞記事など その2
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作成日時 : 2007/12/11 22:02
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朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月7日 水曜日 12版 7面
ホームから 落ち ひかる
【武蔵野 発】 5日 午後 11時半ごろ 東京都 新宿区 角筈 会社員 H井 H朗さん(22歳男性)は 酔って 中央線 三鷹駅 ホームから 落ち 立川行 下り電車に ひかれて 即死した。会社で 飲んだ 上 同駅まで 乗りすごしての 事故らしい。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月7日 水曜日 12版 7面
遊興費 欲しさから 浅草の 夫婦殺し O井、ついに 犯行 自供
先月 30日 夜 東京都 台東区 花川戸 草履表商 S藤 H男さん(35歳男性)夫婦を 殴り殺し、7万円を 奪った 容疑者と して 浅草署の 捜査本部では 6日 あさ、墨田区 錦糸町 T京住宅会社 外交員 O井 S平(23歳男性)を 逮捕したが 犯行を 自供した。
それによると
O井は S藤さん方に 同居する 友人を 訪ねたが 不在なので、浅草公園内で ショウチュウを 飲み、夜 9時過ぎ 同家へ 引き返した。S藤さんに
なんだ 酔っぱらって・・・
と いわれ、カッと なって 同家の ナタで 夫婦を メッタ打ちに し、金を 奪って 逃げた。同夜は 内妻を 連れて 文京区 春木町の 旅館に 泊り、翌夜から 単身で 静岡の 親類に 身を 隠し、4日 夜 帰京した。
と いう。
捜査本部では O井は 働きが ない上に 酒のみで 借金が かさみ、苦しまぎれに 事情を 知った 同家を 計画的に おそったものと みている。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月7日 水曜日 12版 7面
天龍で 女の 同性心中
【浜松 発】 6日 朝 10時半ごろ 静岡県 浜名郡 中ノ町村地内の 天竜川 河原に 20歳前後の 女 2人が 水死体と なっているのを 通りかかった 同村 土工 S合 S吉さん(32歳男性)が 発見、東浜名地区署へ 届出た。現場から 約 300 b 離れた 松林に 薬ビン、クツ下などが 捨てて あった ところから
2人で 睡眠薬を のんで 同性心中を はかり、水を のみに 河原に 下りて 絶命した。
と 同署では みている。
1人は 丸顔、小ぶとりで 黒オーバー、赤マフラー、他の1人は あさ黒い やせ型で、ねずみ色 オーバー、ともに 身長 5尺、所持品は 現金 3千余円と 腕時計だけで 身元不明だが、同日 夕 伊東市署からの 手配で、伊東市 I 戸 旅館に 泊った 東京都 台東区 浅草橋 36 天野 マサ子さん(18歳) ほか 1名と みられ 照会したが、同番地には 該当者が なかった。
上記新聞記事において、照会しても、該当者がなかったことから、偽名、偽の住所を、宿帳に記入したと思われるので、自殺者について、新聞記事に書いてあった通りに、入力した。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月7日 水曜日 12版 7面 お国便り
深い 雪が 命の 恩人
雪の 上越線 岩原スキー場前 仮停車場で 3日前の 朝、東京都 世田谷区 八幡山、国鉄職員 S賀 K朗さん(34歳男性)が 下り長岡行 列車に とび乗ろうと したが 間にあわず スキーを こわきに デッキに ぶら下ったまま 250 b 余 引きずられ、魚野川 鉄橋上で 振り落された。9 b 下の 河原に デングリ返ったものの 雪が 深かったおかげで カスリ傷を 負っただけ。
線路の 上で 手を 放したら 列車に 巻きこまれて ひかれちゃうから、ワザと 鉄橋の 上で 手を 放したのだ。
と ご本人は いたって 元気だった。 (長岡)
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面
初雪 降りしきる
東京では バラついていた 雨が 7日 夜 11時半ごろから 雪に 変って 降りしきり、北関東一帯にも わずかながら 降雪が あった。都心では 今年の 初雪で これは 低気圧が 発達しながら 関東地方を 横切り、北から 冷たい 風が 吹いたためだ。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面
世田谷で ひき逃げ
7日 夜 7時ごろ 東京都 世田谷区 新町 278 先で 同町 無職 N田 なお さん(43歳)(←名前で性別が判断できなかったので、やむをえなく、名前を、原文通り、入力した)は 自動車に ひき逃げされ 頭内出血で 国立第二病院へ 収容されたが 重体。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面
吹雪の 蔵王で 遭難 3名の うち 2死体 収容
【山形 発】 樹氷の 蔵王で 今冬 初の 遭難が あった。 7日 午後 零時ごろ 樹氷見物に 登った 東京工業大学 学生 M S治 君(22歳男性) =東京都 大田区 新井宿= が 熊野地蔵岳 中間付近(山形県 南村山郡 東沢村地内)で 2人連れの 凍死体を 発見、蔵王高湯の 巡査駐在所に 届出たので 警官と 蔵王スキー連盟の 20余名が 同夜 2死体を 高湯温泉に 収容した。
調べに よると、6日 朝山の 家から 宮城県 青根温泉へ 向った 東北学院大学 経済学部 4年 O原 S朗(23歳男性) =仙台市 土樋=、同 I 井 K(23歳男性) =宮城県 岩沼町=、東北大学 文学部 旧制 3年 M沢 T信(31歳男性) =仙台市 堤通り= の 3君の うち O原、 I 井 両君と わかった。
6日は 朝の うち 晴れていたが 午後から 猛烈な 吹雪に なり、スキーを 流しての 遭難と みられ、また 消息不明の M沢君の 遭難も 確実と みられて いる。
昭和28年頃は、山形県の蔵王にある樹氷を見物するために、わざわざ、東京都のような、遠く離れたところから、来る大学生がいたことがわかる。
それに、31歳の東北大学 文学部 旧制 3年の男子大学生が存在していたことがわかる。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面 お国だより
エズコから せむし
岩手県 一関 保健所では 母親学校を 開いたり、農村の 育児教育に 力を 注いだ 結果、幼児の 死亡率が 減り 産児の 体重も 標準以上に なったと いう 好成績。ところが この 地方には せむしと ガニマタの 子供が 多い。これは 土地の 風習で エズコ(幼児カゴ)に 子供を 入れるからだと 判った。また 農村では 離乳を 急ぐと 次の 妊娠が 早く なると いうので いつまでも オッパイを やる 母親が 多い のも 幼児の 発育を 阻んで いる。そこで
ことしは エズコと だらだら オッパイの 習慣を 止めさせよう。
と 母親教育の プランを 練って いる。 (一関)
昭和28年の農村では、多産を阻止したいと考える母親が多かったことが、上記新聞記事からわかる。
せっかくだから、1935年(昭和10年)頃の、農村においても、多産を阻止したいと考えている母親が結構、いたのではないかと考えさせられる記載を、『人口から読む日本の歴史』(著者:鬼頭 宏。発行所:株式会社 講談社。2000年5月10日 第1刷発行。2000年10月17日 第4刷発行。ISBN:4061594303)から 引用する。
人口統計の 上に 堕胎・間引の 跡を 調べる 前に、その動機 ないし 目的と、その 手段、方法に ついて 概観して おこう。手掛りと するのは、柳田国男の指導のもとに、1935年に恩賜財団 母子愛育会が 実施した 産育習俗調査で ある。全国各地の 民俗研究者から 寄せられた 回答は 府県別に 整理されて、いま『日本産育習俗資料集成』と して 刊行されて いる。
出生制限の 動機に ついて。「避妊・堕胎・間引」に 関する回答を 寄せた府県は 38あり、堕胎・間引の 動機に 答えたのは のべ 46府県 あった。圧倒的に 多いのは子ども数が 多すぎると いう 理由(14)で、
これに 貧窮(2)を 加えた 経済的理由が 支配的で あったと 言える。当然、望ましい 子ども数が 人々の 頭の 中に あったことだろう。もう ひとつの 大きな 理由は 婚外出産で ある。
「不義・密通」(6)、
未婚(5)、
寡婦(2)の出産は 避けられなければ ならなかった。
出生児が 双子(3)や
障害の ある 場合(2)、
または 高齢出産(3)であることなどは、育児上の 負担が大きい ためと いうことも あろうが、多分に 外聞を 意識したもので あったろう。このような 動機は 現代の 日本でも 全く 変わらない。1972年(昭和47)の 調査に よると、
生後 24時間 以内の 嬰児殺しの 動機の 第 1位は 「世間体を 恥じて」で あり、
次が 「貧困」で あった。ただし 未婚者と 既婚者では 主なる 動機は 異なり、前者では「世間体」、後者では「貧困」が 重きを なして いた(佐々木保行「わが国における子捨て・子殺し」『書斎の窓』319号)。また 性別では、女児で あることを 理由と して 挙げて いる 府県(5)も やはり 多かった。
出生制限の 方法は 実に 多様である。まず 避妊から みると、方法と して 回答されたものの なかには 全く 有効性が 期待できないものも 多い。
上の 子の 授乳を 長引かせて いつまでも 乳を 吸わせる とか、
灸を すえるとかは 実効も 期待できるが、
ほおずきを 食べる、
トメ、スミ、キリなどと 命名する、
神仏へ 祈願するなどは まった く効果は なかったで あろう。
産湯を つかった タライの 底を 妊娠したくない 年 または 月だけ 叩くなどの 象徴的行為、
底の ない ヒシャクや 袋を 神仏に 奉納する 行為も、興味深いが、避妊の 成功に 結びつかない。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面 お国だより
密航者 防ぎに 大童
新潟、山形 両県の 県境の 上海府村付近の 海岸は 22 `に わたって 岩山が 海に 突出した 断がい絶壁。村人の 通路も 山に あけた トンネル、それも 海が 荒れると 交通止めと いう 難所だ。この 絶壁に 目を つけて 朝鮮からの 密航者 4名が 上陸した。あわてた 国警 県本部では 非常勤 公務員の 資格で 見張員を 付近の 上海府、粟島浦 3カ村から 各 4名ずつの 村民を 選んで 任命した。見張員は 正月も なく 日本海の 寒風と 闘いながら ぐっと シベリアの 方角を にらんで いる。 (新潟)
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月8日 木曜日 12版 7面 お国だより
減りゆく 奈良の シカ
お正月が きて ボクは 満 6カ月に なったんだ。
奈良公園の 子ジカ、バンビ君は スギ葉を 口に くわえて 得意そうに 足を 踏んばった。だが、お腹が ひもじいようで よろけて うまく 歩けない。冬は 好物の 若草も 生えないし、観光客が 少なくて センベイにも ありつけないからだ。奈良の シカは 経費不足で、食料の イモが 十分に 与えられず、シカ族の 数は 減る 一方。戦前 700頭から 1000頭近くも いた シカが いまでは 200頭たらず。シカが 減る 原因には 田畑を 荒らされて 怒った 百姓が 密殺するのも その 1つ。県、市の 観光課では それも これも 予算不足で 満足に 食べさせないからだ、公園を 立派に 復活して、観光客を 大いに 招き 金もうけを して、シカを 保護しようと いろいろ チエを しぼって いる。 (奈良)
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月9日 金曜日 3版 3面
列車から 落ち 死亡?
【京都 発】 9日 午前 8時ごろ、東海道線 京都 鴨川 鉄橋 東詰 上り線路上で 30歳前後の 男の 変死体を 発見、京都駅 公安係と 松原署で 調べたところ 洋服の ネームに H中と あり、さらに
東京都 文京区 駒込林町 M本 H朗(男性)方 東京大学 農学部 農業工学科 山崎 研究室 勤務 H中 O(男性)
と いう 名刺の ほかに 兵庫県 多紀郡 福住村出身の 身元証明書などが 現れたところから 同氏と みて 関係先に 手配した。
同氏は 8日 午後 農林省 京都 農地事務局を 訪れ、研究上の 打合せを 行い、同夜 新京極方面の 飲屋で 酒を 飲んで 9日 朝 6時 10分 京都駅発 東京行 列車に 乗り デッキから 落ちたものと みられる。
上記新聞記事において、洋服のネームや、名刺の実名はぼかした。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月9日 金曜日 3版 3面
覆面 3人組
8日 夜 11時半ごろ 東京都 板橋区 徳丸町 雑穀商 H野 S朗さん(49歳男性)方に いずれも 短刀を 持った 覆面の 3人組が 侵入、S朗さんの 両手を 腰ヒモで 縛り、さるぐつわを はめ、耳に 紙クズを 入れた うえ、前掛で 顔を おおい、売上金 1万 2千円と ポケットに 現金 1万 2千円 入っている ジャンパー、上衣などを 奪って 逃げた、と 志村署へ 届けた。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月9日 金曜日 3版 3面
母子 3人 心中 井戸に 飛込む
【武蔵野 発】 9日 午前 7時ごろ 都下小平町 北野中新田 農業委員 K里 Y寿さん 妻 Aさん(43歳)が 四男 T義ちゃん(6歳)、長女 Y子ちゃん(3歳)と 自宅の 井戸に 飛込自殺しているのを Y寿さんが 発見、田無地区署に 届け出た。
同署の 調べでは、Aさんは 後妻のため 先妻の 子と なつかなかったのを 苦に したものらしい。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 12版 7面
放火の 妻 自首 北千束で 火事
9日 夜 7時 15分ごろ、東京都 大田区 北千束 O滝 ねじ製作所 所長 O滝 G朗さん方から 出火、1むね 17坪を 全焼したが、間もなく 妻の M子(29歳)が
私が 放火した。
と 東調布署に 自首、放火容疑で 留置された。
調べでは
夫の 女の ことで 日ごろから 夫婦ゲンカが たえず、同夜 思いつめて 自宅 四畳半に カヤを つって 火を つけ、子供 2人を 連れて 外に 飛び出したが、おそろしくなり 自首した。
と いう。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 12版 7面
トラックに はねらる
9日 午後 1時 50分ごろ、東京都 江戸川区 西小松川町 2 ノ 49 先の 歩道で 羽根ツキを していた 葛飾区 下小松、会社員 T K治さん(男性) 長男 K雄ちゃん(8歳) =松南小学校 2年= は、車道に 飛び出して、江東区 亀井戸 K堀 T夫さん(29歳男性) 運転の トラックに はね飛ばされ 間もなく 死亡した。
朝日新聞 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 12版 7面 青鉛筆
▽
豪快な 日本の クマや イノシシ、シカなどの 狩猟を したいから 案内人などを 頼む。
と いう 便りが サンフランシスコの B・W・パトリージと いう 一ハンターから 9日 農林省へ。
▽ 昨年末 日本交通公社発行の 海外版 ジャパン・トラベル・ニューズに “日本の 狩猟”を 写真入りで 宣伝した 反響 第1号らしく
山形県 朝日磐梯山の クマ猟は 是が非でも。
と ある。
▽ 農林省 葛 猟政 調査課長
むろん すぐ OKの 返事を 出しますよ。シカなど 1シーズン 1頭しか 獲れない アメリカの ことだから 案外 ハンターが 大挙して 来るのでは ないかしら。来年からは 味を しめ 年々 春は サクラに さきがけ “クマ猟 観光団から”と いうことに なりそうですな。
と 虫の いいこと いっている。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 3版 3面
2名が 死傷 新宿で 自動車 三重衝突
9日 夜 10時 40分ごろ 東京都 新宿区 角筈 3 ノ 234 先で 中野区 野方町 T産業会社 勤務 I 川 T男 運転手(20歳男性)の ジープは 港区 芝金杉 H機産業会社 勤務 M下 S 運転手(26歳男性)の 乗用車と ぶつかり、前車輪を 吹っ飛ばしたまま、さらに 50 b ほど 突っ走って 鎌倉市 極楽寺 O山 S樹 運転手(28歳男性)の タクシーに 正面衝突した。このとき ジープの 助手台に いた I 川の 同僚、渋谷区 千駄ヶ谷 H井 A人さん(26歳男性)は 路上に ほうり出されて 即死した。I 川は 頭に 10日間の 負傷。車は それぞれ 大中破した。
淀橋署の 調べに よると、I 川たちは 新年宴会の 帰りで、酔っぱらい運転の 結果と 判った。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 3版 3面
競輪選手 2名が 死傷す 練習中 接触し
【川崎 発】 川崎市 大師四ツ谷上町 A級 競輪選手 S川 H平 君(22歳男性)は 9日 午後 3時ごろ 川崎競輪場で 練習中 札幌市 南 14条 西 8丁目 B級選手 E藤 Y男 君(28歳男性)と 腕が ふれて 転倒、S川 選手は 鉄サクに 頭を うち 内出血で 10日 死亡。E藤 選手は 鎖骨骨折で 重体。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月10日 土曜日 3版 3面
断られた 強盗 捕る
10日 午前 1時半ごろ 東京都 文京区 大塚駕籠町 O平 工業株式会社 社長 O平 Y夫さん(男性)方に 賊が 入り、寝ていた 母 Uさん(59歳)を 起し、左手に ピストルを 持っている ふりを して
金を 出せ。
と 脅したが
隠居だから 金が ない。
と いうと そのまま 逃げた。同 2時半ごろ 付近の 空地に うずくまっている 男を 宮坂署員が 捕えた。
同署の 調べに よると、板橋区 板橋町 自称 運転手 M田 H光(21歳男性)と いい、犯行を 自供した。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月11日 日曜日 3版 3面
まるで 3月の 陽気 雪国には 雪崩 注意報
11日 東京の 気温は 寒中と いうのに 正午 12.7度で 3月なかばごろの 暖かさ。平年より 7.8度 高く 時ならぬ 行楽日和だった。中央気象台の 話に よると 北海道以外は 全国的に 5, 6度 高め。これは 小笠原付近に 珍しく 高気圧が できて 南の 風が 吹きこんだ ためで 東北の 雪国でも 久しぶりに 雪が とけ 黒い 屋根が みえたところが 多い。仙台気象台では 山岳地方に 雪どけの 雪崩注意報を 発したり、滋賀県では 11日 朝モヤが 発生して 急行が 遅れるなどの 異変が 起った。
大陸の 高気圧が 張り出しての 冬型 好天気と 違って 南の 高気圧の プレゼントだけに 天気は 崩れやすく この 暖かさと 晴も きょう 限り。13日ごろから グッと 寒中らしい 天気に なるだろう。
と いっている。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月11日 日曜日 3版 3面
列車 、濃霧で 立往生 特急「はと」 17分 遅れる
【名古屋 発】 11日 午前 1時ごろから 11時ごろまで 滋賀県下に 濃霧が たち込め、東海道線 石川 ー 彦根間は 見通し 50 b と いう 視界不良の ため 11時 名古屋発 東京行 急行「雲仙」は 29分、同 11時 50分 名古屋発 東京行 特急「はと」は 17分、午後 零時半 名古屋発 急行「霧島」は 17分と いずれも 遅れた。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月11日 日曜日 3版 3面
赤児を 殺して 捨てる
10日 朝、東京都 目黒区 下目黒 4 ノ 891 先の ドブ川に 捨てられて いた 男の 赤ん坊の 死体は 目黒署で 解剖した ところ、生れて すぐに 首を しめて 殺した ものと わかったので 11日 捜査を 始めた。
朝日新聞 夕刊 東京版 昭和28年(1953年)1月11日 日曜日 3版 3面
赤ん坊の 窒息死 2件
10日 夜 10時ごろ 東京都 世田谷区 玉川用賀町、茶商 H川 Y一さん(35歳)が 帰ると 妻 Tさん(26歳)が 添寝を していた M代ちゃん(2カ月女児)の 顔色が おかしいので 手当を したが、間もなく 死んだ。乳房で 鼻を 押さえつけられて 窒息死したものらしい。
また 11日 朝 9時ごろ 東京都 品川区 東品川 会社員 O幡 D造さんの 妻 C代さん(30歳)は 添寝していた 生後1カ月の 長男 T彦ちゃんが 死んでいるので 品川署に 届けた。調べに よると、D造さんと 寝ていた 長女 S苗ちゃん(5歳)が 夜中に 母親の 横に もぐりこみ、T彦ちゃんを 窒息させてしまったものらしい。
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