昭和29年頃の興味深い新聞記事など その7
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作成日時 : 2007/10/27 20:54
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産業経済新聞 大阪版 市内版 昭和29年(1954年)10月22日 金曜日 8面
安全な 修学旅行への 手引 無理な “旅程”を 組むな 相次ぐ 事件で 関係者ら 猛反省 促す
相模湖の 遭難事件、京都市内での 集団中毒事件など“修学旅行恐怖時代”を 解消させる ため 府では 21日 大阪 鉄道 管理局、日本交通公社、関西汽船、大阪安全協会、府警本部 各関係者を 招き、修学旅行の 安全に ついて 協議した。席上 今秋 来阪した 他府県の 高校生の なかには引率者の 先生自身が 泥酔して 統率能力を 欠いて いた ため 旅館から 抜け出して 赤線区域で 泊って いたと いう 由々しい 事実が 暴露され 学校当局の 指導監督に 対する 猛省を 促す 声が 強かったが 以下は 関係者が 語る“安全な 修学旅行の 手引”
関西汽船 船客 課長 佐々木 国綱氏の 話
船は エンジンを かけたら 物理的理由に よって 船尾が 下がり 水が 入る。船は 船舶安全法で 保証されて おり 別府航路の 2千dの 船は 定員 600名でも 2千名ぐらいは 大丈夫だが、転覆の 原因と なる科学的常識ぐらい旅行者は 知って いて ほしい。
大鉄局 旅客 課長 大島 矢一氏の 話
京都を 中心に 小学校は 250`(山陽線 笠岡、東海道線 浜松)、中学校は 650`(宇都宮、博多)から 関西に 来る ものが 多く、高校は 北海道から 九州まで 殆ど 全国に わたって おり、無理な スケジュールを 組み、往復夜行列車で 欲張って いるのが 事故の 第一原因だ。旅行あっせん業者に 依頼する 学校が 多いが、有名な 信用ある 業者は 良いが、大阪だけでも モグリを 加えて、三百軒にも なる 群小業者は バス会社、旅館業者から ピンハネして おり、それが 食中毒、交通事故と なって 生徒児童に ハネ返って いるのだ。あっせん業者は 校長や 先生に うまく 食い入り 好餌で つって いる。引率者の 統一ある 行動と 実地踏査は 事故防止の 不可欠要件だが 予備知識も ない引率者が 遊山的な 気分で かくれ遊びに耽って いるから 生徒に 事故が 発生する。生徒の 放縦は 引率者の 心構えに よって 引きしめられる ものだ。中毒は 関西でも 春に 少なく 秋に 多いのは 夏休み中の ダラシない 生活に より 体力が 減退して いる からで事前の 健康診断が 必要だ。
府 公衆衛生 課長 太田 隆氏の 話
学校側から 旅行先 保健所へ 事前連絡し、旅館では 下請業者に 弁当を 調達させる ものも あるので 今後は 調理時間を 標示させると ともに 学校側でも 責任者の 官能検査に よって 腐敗食品の 発見に つとめ調理後 3時間以内に 摂食すれば 食中毒は 余程 防止される。ビニール、ナイロン風呂敷は 弁当を 腐敗させ 危険だ。
府 環境衛生 課長 梶山 直二氏の 話
赤痢は 伝染病の うち 第1位を 占め 昨年度の 実態調査では 千人中 六人の 赤痢保菌者が いる ことが 判明。大阪の 人口では 2万 6400人の 赤痢保菌者が いる わけ だから 食事前の 手洗励行と 学校から 旅行先 保健所への 事前連絡は 是非 必要で ある。
府警 本部長ら 交通 課長 池内 幾久氏の 話
交通事故は 年々 増加し、28年度 8万件(27年度より 37%増)、死者 5543名、負傷者 5万 9182名と なって いるが、不可抗力の 交通事故は 案外 少ない。大部分の 事故は 交通規則の 違反、不注意に よる もので、遊覧バスの 定員超過に よる 無理な 輸送を 避けるため 今後は 警察にも 連絡して ほしい。また 引率者の 交通に たいする 認識も 欠けて いる。
上記新聞記事で、昭和28年度(1953年度)の交通事故の死者:5543名、負傷者数:5万 9182名となっているが、実際には
昭和28年(1953年)の交通事故死者数(全国):5544名
昭和28年(1953年)の交通事故負傷者数(全国):5万 9280名
である。年度と年で異なるから、このような違いが見られたのかもしれないが。
ついでに書くが
昭和28年(1953年)の人口10万人当たりの交通事故死者数(全国):6.4名
平成15年(2003年)の人口10万人当たりの交通事故死者数(全国):6.0名
昭和28年(1953年)の車両保有台数1万台当たりの交通事故死者数(全国):54.0名
平成15年(2003年)の車両保有台数1万台当たりの交通事故死者数(全国):0.9名
であり、平成15年と比較して、昭和28年は、交通事故で死亡しやすいことがわかる。
以上の統計の出典は、『平成16年版 犯罪白書 −犯罪者の処遇−』(平成16年11月25日発行。編集:法務省法務総合研究所。発行:独立行政法人 国立印刷局。ISBN:417350179X)のp 406の『資料1-5 交通事故の発生件数・死傷者数・死傷率』(昭和21年〜平成15年)である。
最新の統計について知りたかったら
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h19kou_haku/genkyou/h1/h1_01.html
に載っていた下記のグラフがお薦めである。
(←グラフをクリックして、ウインドウを最大にすると、見やすくなるので、そうしましょう)
昔に比べて、死亡交通事故に関して、自動車交通が安全になったことが実感できるだろう。
せっかくだから、転載自由のサイトである
http://kangaeru.s59.xrea.com/29.htm
から、下記に転載する。
昭和29年(1954).10.8〔相模湖で遊覧船沈没、中学生22人水死〕※参考
神奈川県 相模湖で遊覧船沈没、中学生22人水死。
下記サイトもお薦めである。
http://www.mlit.go.jp/maia/08monoshiri/maiahist/20s.htm#%93%B4%96%EA%8A%DB
また、現代、死亡交通事故を防止する最良の策は、一言でいうと、同乗者をできる限り乗せないで(←やむを得ず乗せる羽目になったときは、できる限り、会話をしないで、自動車の運転に集中するべきである)慎重な運転をするということである。単に制限速度を守っていれば、よいというものではない。実際、制限速度以下で死亡交通事故が生じた事例はたくさん、ある。というわけで、現代の死亡交通事故の予防策で、マスコミ報道であまり、触れられていない注意点を読みたかったら、私が書いた下記ブログ記事であるが、下記ブログ記事参照。
http://supplementary.at.webry.info/200609/article_2.html
http://supplementary.at.webry.info/200603/article_2.html
http://supplementary.at.webry.info/200604/article_1.html
http://supplementary.at.webry.info/200604/article_3.html
http://supplementary.at.webry.info/200604/article_4.html
http://supplementary.at.webry.info/200604/article_5.html
http://supplementary.at.webry.info/200604/article_6.html
http://supplementary.at.webry.info/200707/article_3.html
(←狐のせいで、運転者が死亡した交通事故を載せている。この死亡交通事故については、自動車学校などで、「キツネ、人間、自転車などが飛び出したらはねよ」【←札幌地方裁判所の坂本 宗一 裁判官、北海道警察の警察官も、きっと、そう考えているだろう】としっかり、教えていれば、防止できたのは確実である)
私が、交通安全の観点からは、現行の制限速度より高い制限速度は可能であり(←時速100`の制限速度にしても、交通安全上、何ら問題がない直線道路はたくさんある。もちろん、天候、視界、路面などの変化により、安全な速度が低下する(←例えば、冬季の凍結路面では、直線道路で、時速50`でさえ、危険であることがある。しかし、そういう場合でも、10時間も経過すれば、乾燥路面になり、時速100`で走行できるようになることはよくあることである)ことはよくあることであるが、そういう変化に合せて迅速に制限速度を変更することは不可能であるので、そのへんは運転者の判断に任せるより他に方法はない)、現行の制限速度が低すぎると思っているのはいうまでもない。
産業経済新聞 大阪版 市内版 昭和29年(1954年)10月22日 金曜日 8面
20年 無事故で 通した 運転手 “若者に 多い 信号無視” 全国交通安全週間 表彰の Kさん 語る
21日から 全国交通安全週間が はじまった。市警本部でも、この日 午後 1時から 中之島 中央 公会堂で “交通安全 よい 子の つどい”を 開き、北区 滝川校など 市内 25小学校の 優良安全自治班の 表彰を 行った ほか、街では 安全交通の 指導、各署ごとに 工夫を こらした 催しなどが 行われた。ところで この 運動期間中には、 優良運転者の 表彰も 行われるが、その 中で 20年間 無事故、無処分で 通した 自動車運転手が 人目を ひいて いる。同運転手は 警察庁 および 市警から 表彰されるが、Sタクシーの K運転手(46歳 男性)=旭区=が その 人。そこで K運転手の“無事故で 通した 20年”の 体験を 紹介しよう。
○・・・20年間 無事故 無処分と いうのは なかなか 運転手仲間でも むずかしいらしいので、Kさんは珍しい 記録を つくった ことに なる。家庭では 1男 2女の おとなしい お父さん。昭和 8年の 春、25歳の とき 運転免許を とり、初めて タクシーの ハンドルを 握ってから 市バス 4年間、トラック 10年間、再び タクシーに もどって 6年間・・・毎日 日々を 車と ともに 暮して 来た。
○・・・無事故で 押し通した もとに なったのは、一口に いえば 交通規則を 守ると いう 簡単な ようで 実行は むずかしい ことを とにかく やりとげたと いう ことだ。だから 彼は 無事故の ひとつと して
“スピードを 出し過ぎない こと。無理せず 追越しなど しない こと”
と 即座に いう。全く 市警 本部の 事故原因別調査でも 追越しは その 第1位に なって いる。
○・・・阪急前付近の 運転が 1番 神経を 使う そうだ。そして、信号が 黄色に かわり赤が 出てからも、一向、頓着なしにノラクラ 横断歩道 を歩いて いるのが 多いのには大いに憤慨している。この 法規無視組は 彼の 多年の 経験だと 30歳ぐらいまでの 若い 男女に 多いと いうし、学童たちの 方が ズッと 機敏に 正しく 横断すると いうのは 大いに 考えさせられる。これは また 市電の 乗降りの 時も 同じで、自動車が そばまで 来ているのを 平気で おしゃべりしている 女にも腹立たしさを感じ、警察も 自動車ばかり やらずに 歩行者の 指導も 徹底して もらいたいと 彼は いって いる。
○・・・スクーターや モーター付き自転車の 激増は 事故の 増加と 並行して いる ようだが、これらの 運転者は 彼の 眼から みると 若くて、腕の 未熟者が 目立ち それだけ 事故の もとにも なると 若い 者の 勉強を 望み、そして
“老人より 若者の 方が たくさん 交通事故で 命を 落として いる”
と 若者の 軽挙も 戒めて いる。
上記新聞記事に
老人より 若者の 方が たくさん 交通事故で 命を 落として いる。
と書かれている。
当時の統計を私は手元に持ってないので、こういう事実が、昭和29年頃にあったのかどうかは確認していない。それでは、昭和54年(1979年)〜平成15年(2003年)に関して、こういう事実はあるのだろうか?
『交通安全白書 平成16年版』(編集:内閣府。平成16年6月15日発行。発行:独立行政法人 国立印刷局。ISBN:4171911796)p 13の『第1−6図 年齢層別人口10万人当たり交通事故死者数の推移』を下記に引用するから、『65歳以上』が、どうなっているのかを見てもらいたい。
(←グラフをクリックして、ウインドウを最大にすると、見やすくなるので、そうしましょう)
(←グラフが見にくいので、解説する。
平成15年の65歳以上の人口10万人当たり交通事故死者数:12.8名
平成15年の16〜24歳の人口10万人当たり交通事故死者数:7.7名
平成15年の25〜64歳の人口10万人当たり交通事故死者数:4.7名
平成15年の15歳以下の人口10万人当たり交通事故死者数:1.2名
注には
人口は総務省資料により各年10月1日現在の国勢調査又は推計人口、死者数は警察庁資料による。
と記載されている)
『65歳以上』の人口10万人当たり交通事故死者数が多いことがわかるだろう。しかも、昭和56年(1981年)〜昭和60年(1985年)、昭和62年(1987年)〜平成2年(1990年)を除けば、第1位の年齢層である。
産業経済新聞 大阪版 昭和29年(1954年)10月24日 日曜日 7面
法廷で 罵倒し合う ホテル殺人 I 井、▽子 かつての 恋人 醜く 対立
大阪 南の オリオン・ホテル毒殺事件の 殺人教唆、I 井 ×能(28歳男性)関係の 分離 第2回 公判は 23日 午前 10時 30分から 大阪地裁 佐々木 裁判長係で 開廷。相手被告の S井 ▽子(20歳女性)が 証言台に 立ち 約 3時間に わたって K児 検事の 尋問に 答えながら 犯行前後の いきさつを 証言した。
この日
青酸カリを 持ち出せ、S○(←毒殺の被害者の名字)に 対して 愛情が ないなら なんでも できるはずだ。
と 22日(犯行前日) I 井に いわれた。犯行後の 24日
I 井の 名は 絶対に 出すな。
と いわれた。
と ▽子が 証言するや、さすがに I 井の 顔面に 青い 色が サッと 走った。弁護人の 反対尋問に 対して
私は いまでも ×能さんを 愛して います。はじめは ×能さんを かばって いつわりの 証言を しました。いま 私は 信仰の 世界に 入りました。ほんとうの ことを 法廷で 話して 心の 苦しさが とけました。×能さんの いつわりを いっている 苦しみを といて あげようと 思っています。
と 語り、最後に I 井が 反対尋問に 立ち
私が
青酸カリを 飲ませ。
と いいましたか。
22日の 夜に 会いましたか。
と ▽子と 対決して 追及したが、▽子は
いいました。
会いました。
と 鋭く 対立。ついに 興奮した ▽子は 大声に なって
8月 20日 姫路市に 現場検証に いった 時、神戸地裁 姫路支部の 待合室で 看守の スキを ねらって
アイ・ラブ・ユウー。約束を 守れ、裁判で ひっくりかえすのだ。
と いったでは ないか。
と 意外な 鉄格子を 通じての 密約を 暴露。
一方、I 井も まけておらず
車の なかで 肩と 肩が 当ったとき ▽子が
ごめんなさい。
と あやまっただけだ。 と 応酬、はては 2人が つかみかかるまでに 接近して 激論し、▽子は ヒステリックに
×能さん、そんなに ウソを いわなくても よいでしょう。きょうは S○(←毒殺の被害者の名字)さんが なくなった 日です。
お前が 殺したんだ。
あなたが 殺させたんです。
と すでに くらくなった 静かな 法廷で 罵倒の 声を 浴びせあい
これが かつての 愛人同士か。
と 傍聴席を 嘆かせ 午後 6時すぎ 閉廷した。次回は 26日。
オリオン・ホテルについては、私が書いたブログ記事であるが
http://supplementary.at.webry.info/200711/article_2.html
の『産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月27日 火曜日 14版 7面』も参照。
このブログ記事は、『昭和29年頃の興味深い新聞記事など その6』
http://supplementary.at.webry.info/200709/article_1.html
から続く。字数制限のため、分けた。
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