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help リーダーに追加 RSS 昭和30年頃の興味深い記事など その3

<<   作成日時 : 2007/09/23 14:28   >>

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産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 14版 7面 
オートレースで 即死  川口市営 車体が 接触・横転

浦和】11回 埼玉県 川口市営オートレース 第 10レース (午後 4時 20分 発進) 1, 2級混合ハンデ 4200b 12車立の 1周目 最後の コーナーで 一団と なって 走って いた メグロセビヤ 54号 M井 藤× 選手 (44歳男性)(←年齢の一の位が不鮮明だった。43歳 or 45歳かもしれない)=神奈川県出身=と カツヤス号 M下 一夫 選手(男性)(←年齢は判読できなかった)=兵庫県出身=が 接触、両車とも 横転、両選手は 車外に ほうり出され、M井選手は 後続の ギス号 K田 T光 選手(30歳男性)(←年齢の一の位が不鮮明だった。37歳かもしれない)=岐阜県出身=に 腹部を 轢かれ 即死、M下選手は 全身 1週間の 打撲傷を 負った。なお 即死した M井選手は オート選手の 会長を つとめたことが ある。


産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 14版 7面 
ナイターで 観衆 騒ぐ 西宮球場 球場へ なだれ込む 乱れ飛ぶ ビン類 南海攻防戦

 ペナント争い たけなわの 11日 夜 西宮球場で 行われた パ・リーグ 南海ー阪急戦で
審判の 判定が 不服だ。

と 観衆が 球場内に なだれこみ、このため 試合は 約 1時間 中断、終った 時は 午後 11時半で 終電 ギリギリと いう 深夜ナイターと なった。なお 関西での ナイターさわぎは 昨年 7月 25日 大阪球場の 阪神ー中日戦以来の ことで ある

 11日 西宮球場で 行われた 阪急、南海の ダブル・ヘッダー第二回戦(19回戦)は 1対1の 延長戦と なり 10時 20分頃 12回表 南海攻撃の 時 飯田選手の 三塁間安打で ○×を破ったが、この時 二塁ランナー 木塚の 右足に 球が 当ったと 阪急 二塁手 バルボンが 抗議、審判が とり合わなかったため 阪急ファンが 騒ぎ出し、内外野席から 約 50名の 観衆が グラウンドに なだれ込んだため 試合は 中断、急報に 駆けつけた 西宮署員 約 50名が グラウンドの 客を 観客席に 押返し 一時 おさまったが、この後 南海が 守備に 着いた 時 再び 外野席 および 一塁側内野スタンドから ビールびん、ウイスキーびんが 乱れ飛び、南海選手は ダッグアウトに 逃げこむ 始末。このため 試合は 再度 中止
金を かえせ。

と さわぐ 観客を 球場職員と 警官が なだめすかし、阪急 西村監督も マイクで
放棄試合に なると 阪急が 負けることに なりますから さわがないで 下さい。

と 懸命に 呼びかけ、この間 約 1時間、ようやく 観客も 静まって 三たび プレーボール 午後 11時半 5 対 3 と 南海の 勝利で 危うく 放棄試合と ならず 深夜ナイターは ケリと なった。

 ところが このあと 騒動は さらに 球場外で 延長戦、バスで 帰ろうと する 南海選手を 阪急ファンが 待ちぶせして やじり、西宮署員が 人垣を 作って バスに のせると いう 一コマも あり、ケガ人は なかったものの、この さわぎで 終電車は 約 10分 おくれた

 なお 球場 内 本部席 屋根に 上った 観客の 重みで 柱が 一本 損傷した

×西宮球場長の 話

 ケガ人が なく 何よりだった。きょうの もめ事は 観客に 説明が おくれたため 起こったものと 思い 申訳なく 思っているが、あまり 騒がれたので 説明も 球場の 隅々まで 行き渡らなかったようだ。ファンの 気持も わかるが、もっと 朗らかな 応援を して 楽しい 雰囲気を 作って ほしい。


阪急 西村監督の 話

 木塚が 打球に 触れたことで 抗議したが 通らなかった。塁審が 触れないと 認めたのだから 仕方がないが、12回 裏 再開を してやろうと 思えば 続行出来たのに ここで 中断したため 試合が 長引いて しまった。


南海 山本監督の 話

 12回 守備に ついた 選手を ベンチに 引上げさせたのは 羽田 球審の 命に 従ったからで、きょうの ケースで 観衆が あのように 騒ぐのは わけが 分らないヒイキのヒキ倒し と いうものだ。
 


 念のために書くが
贔屓(ひいき)の引き倒し:贔屓をして、かえって、その人にとって、迷惑になること。

という意味である。

産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 14版 7面 
小学校 教官が 自殺

 11日 午後 2時 40分ごろ 神戸 須磨区 須磨○ 5丁目、須磨寺奥ノ×裏山で 若い 男が 首つり自殺しているのを 付近 警ラ中の 須磨署員が 発見した。調べに よると、持っていた 身分証明書から 兵庫県 三木市 細川町 細川中、三木市 助役 K米 K二 氏 (男性) の 長男 神戸 兵庫小学校 教官 K米 K一 氏(24歳)(←34歳かもしれない)と 分った。同氏は 2学期の はじめに 学校に 顔を みせた あと 休んでいたもので さる 9日 家出した
死とは ○×で あるとも いい、△◇とも いうが、私に とっては ○×でも △◇でも ない。

などと ノートに 綴り書して あった。神経衰弱から らしい。


下記読者投稿欄において、投稿者の実名が記載されたいたが、プライバシー保護のため、ぼかした。「某教」の表記は、原文のまま、入力したものである。

産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 14版 7面 鈴
インチキ宗教を 追放せよ

◇・・・苦しい 時の 神頼み、とは よく いったもので、人間 だれしも 非常な 困難、危難に ぶつかると なんとか 助かりたいと 手を 合せたく なる ものです。こうした 人間心理の 盲点を たくみに 利用して、莫大な 財産を 築きあげているのが、戦後、一躍 有名に なった 某教です。私は ×も 宗教の 存在を 否定しようとは 思いません。いや むしろ 正しい 意味の 宗教は、人間の 生活に とって 必要な ものだと 考えていますが、宗教にも 専らの 道が あります。つまり 人間の 魂が 対象で あって、肉体は 医学の 領域だと 思うのですが、某教は 現代医学を 否定して、その信者を 医学や 薬に 近づけようと しないのです。病床に ある 信者に 対しては、教祖が 書いたと いう “お札” を 懐中していれば 必ず 本服する。それでも なおらぬ 場合は
誠が 足らぬのだ。誠とは 即ち 金。

と いう ことに なり、やれ お守りを 買え、掛軸を 買えと 矢継ぎばやに 請求してくるのです。

◇・・・これで 病気が なおる もので あれば、私は 何も いいません。しかし、信者の 財布から 金を しぼり取るばかりで なく、大事な 生命まで 召し上げられるのですから、黙って 見ている わけには いかないのです。私の 属して いた 支部は、信者数が わずかに 数十名でしたが、その中から、すでに 6, 7名が 死亡して いるのです。医者にも みせず 薬も 使わないのですから、信者が 病気に なれば、ただ 死を 待つばかりなのです。こうした 宗教(というよりは 企業ですが!)を いつまでも 野放しに して おいて よいものでしょうか。私たち 犠牲者は 遺族会を 結成して、慰霊祭を 行い、また 宗教取締法を 設けるために、広く 世人に これら インチキ宗教の 実態を 訴えて いるのですが、皆様の 協力を 切望する 次第です。(大阪市 福島区・男性


 下記対談において、読みやすくするために、語る人の名字だけを記載するのではなく、役職なども書くなどの編集を行なった。なお、池川 清 氏が、大阪市 児童課長であるのが、不思議である。しかし、元の新聞記事には、確かに、「」という漢字が記載されており、「」の下の漢字1文字が、やや不鮮明であったが、この役職であると推定した。

産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 市内版 8面 月曜展望
今後の 老人福祉 府市対談 

戦後、日本人の 平均寿命は 10年も のびた。あれやこれやの 特効薬の おかげで、なかなか 死ねなくなったからだが、これからも 医学の 進歩に つれ 人間は ますます 長く 生きることが 出来、いまに 平均寿命 百歳と いうのも 夢で なくなるかも しれない。しかし 我が国では 欧米諸国の ような 社会保障制度も なく 老後の 生活は 裕福な 一部の 人を 除いては 必ずしも 幸福では ない。年々 増えてゆく この 老人層に 対する 対策は ここ 数年来、関係者の 間で 問われて いたが、このへんで 政府も 本腰を 入れて 対策を 講ずべき 時期に きているようだ。国民の 誰もが “静かなる 人生の たそがれ” を 楽しむことが 出来るためにー。15日の 「としよりの 日」を 機に 府、市関係者から 今後の 老人福祉問題に ついて 語ってもらった。


まず “養老年金制” 確立 保険会社と 組んで 「老人ホーム」を

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 いよいよ ことしも 15日から としよりの 福祉 週間が 始まるわけだが、おとしよりの 問題が やかましく いわれるようになったのは 1941年に ペニシリンなど 抗生物質が 発見されてからの ことだ。この 発見で としよりの 寿命が うんと 伸びて どこの 国でも 老人に 対する 福祉と いう ことが 大きな 問題と なったんだね。つまり 医学の 発達で 人間が 長生き出来るように なったと 同時に 老人福祉が 要求されるように なった。

大阪市内の 施設 23ヵ所

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 大阪の 場合も 終戦後の 養老施設の 拡充は なかなか めざましく、現在 府下の 養老施設は 府の ものが 4, 市町村の ものが 9, 福祉法人の ものが 10と 計 23ヵ所、終戦直後は たった 3ヵ所だったんだから ザッと 8倍増だ。いま ここに 1900人の 薄幸な としよりが いるが、ほとんど 全部が 生活保護を うけている 人たちばかり。有料老人ホームと いうのは 1ヵ所 あるが ここには わずか 10名しか いない。いま 大阪で どれだけの 老人が 保護を 求めているかと いうと ちょっと 実態は つかめないが、60歳以上で 生活保護を うけているものが 府下で 1万 2千、このうち 身寄りの ない 単身者は 5400人だ。せめて これだけの 人には 救いの 手を さしのべる 必要が あるわけだ。

難しい 老人ホームの 経営

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 戦後 日本の 家族制度が 崩れはじめてから 一般の 有料老人ホーム建設が 強く 叫ばれ出したが、いざ その 経営と いう ことに なると なかなか 困難な ことでね。金を 払って 自分たちの 父なり 母なりを 養老院に 入れると いうのは その 息子に とって 何か 割切れないことなのだろう。一度
松原で 老人ホームを 造ろう。

と いう 話が あって 400人ばかり つめかけたが、実際に 申込んだのは たった 24人だったー。

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 いまのところ そういった 老人ホームまで なかなか 手が 届かないんだが、府でも 何とか 保険会社と 組んで 保険金の 現物給与と いう 算定で 老人ホームを 経営する 手を 考えている。もちろん 施設は 公共施設と いう ことに なるだろうがー。

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 それに 老人が 短期間だけ 宿泊出来るような もの、例えば 1年の うち 2ヵ月ぐらいだけ 会社寮などの 閉鎖時を 活用して その 提供で 老人 レクリエーション プランを 作る。おとしよりは 時々 家族の 圧迫から 解放されて 息ぬきみたいな ものを 欲して いるんだ。外国の 例だが、日本の 温泉マーク級の 施設には 老人の 長期 滞在客が 非常に 多い。

施設は 山間地より 市内に

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 とにかく 外国では 20年 働いておれば 必ず 養老年金が もらえるんだから うらやましい 限りだ。その 金で ゆうゆう ホテル生活を 味わうのだからね。日本なんか 社会保障制度の 中に 老人対策など 何も 折りこまれていない 現状だ。大阪の 養老施設は その 設備と 数に おいて 全国 第 2位なんだが、もちろん 十分と いえない。老人と いう ものは 自分たちが 生れて 働いた ところに 住みたいもので、その 点 小さくても よいから 市内にも 沢山 つくると いうように してあげたいね。どうも 不便な 山間僻地に 多くて ウバステ山的な 感じで 感心出来ないね。せめて 娯楽設備に テレビの 1台くらい あっても いいんだがな。

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 とにかく 金が ないんだから 金を 使わずに せめて 老人問題を 社会に 知って もらう ために やったのが 老人クラブだ。現在 大阪市内に 40 あるが、案外 老人の 仕事(←「仕事が不鮮明だった。別の漢字2文字かもしれない)と いうのは 地域社会の 関心を 集め易いので、クラブ活動も まず 順調だ。今後は 市内で 100ヵ所くらいに 増やしたいと 思っているんだがー。

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 これは 日本人の 敬老精神と いうのが 大いに 貢献している。特に 婦人会あたりは 熱心だ。老人の ためだと いうと 心よく 講演会を ひきうけて くれたりしてね。

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 この 日本人の 敬老精神に ついて 外人が 相当 手きびしい 批判を 加えて いる。日本は 尊属殺しの 最も 多い 国なんだ。これは 日本人は 殆んど 親と 子が 一しょに 生活して いる ことに 起因して いる。日本人は どうも 親を 老人ホームなんかへ 出したがらない。一しょに いないと どうも 親孝行が 出来ないと 思って いる。たしかに 考えさせられる 点だね。

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 老人自身も
老後は 子供が 面倒みるのが 自然だ。

と いった 考えを あらためる 必要が あるね。それと 老人自身が ひがみを なくし 若い 人から 嫌われないように することだ。

老人クラブ 増やしたい

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 現在、60歳以上の 全人口に 対する 比率は 7%だ。英国 10%、仏 13%、スウェーデンは 14%、近い 将来に 日本も 15%位に なるのでは ないかと 思う。今後の 問題と しては 養老年金制度を 設けることが 第一だ。

大阪府 保健課長 太田 吾明 氏の 発言
 しかし 全人口の 1割 5分が 老人と いう ことは 政治上、文化上 大きな 変化で 出て来るのでは ないだろうか。たとえば 有権者を 全人口の 約 半数と みれば、有権者の 3分の 1が 老人だ。老人の 政治的発言力が 一そう 強大に なってくる。

大阪市 児童課長 池川 清 氏の 発言
 そうなると 養老年金制度だって たちどころに 立法化されるね。と 同時に 「老人横暴時代」なんて いわれる 時も 来るかも しれないね (


 上記対談で、昭和30年1955年)当時、大阪市 児童課長 池川 清 氏が
日本は 尊属殺しの 最も 多い 国である。

と、外人から聞いたと、主張していることがわかる。

 せっかくだから、いくつか、統計を載せておく。

尊属殺統計人数』(≒親殺し統計)のグラフを見たかったら、下記統計がお薦めである。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-sonzokusatu.htm

また、私が書いたブログ記事である
http://supplementary.at.webry.info/200611/article_2.html
を読めば、わかるが、2001年の日本は、人口10万人当たりの殺人の認知件数が、非常に低い国である。参考までに、その統計(人口10万人当たりの殺人認知件数)を、下記にもう1回、載せる。

米国(2001年):5.6
フランス(2001年):3.9
英国(2001年):3.4
ドイツ(2001年):3.2
日本(2001年):1.1
日本の殺人の定義殺人及び強盗殺人未遂を含む))


産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 市内版 8面
此花区 伝法小学校で 協議会  台風 観測 飛行機の 献納運動

 此花区 伝法小学校では 11日 午前 11時から 台風 観測用 飛行機の 献納運動を 強力に 推し進めるための 協議会を 開催。同校 S藤 S教官(23歳男性)を 中心に ○花中 3年 M田 M君(男性)、淀之水高 1年、H澤 H子さん(女性)ら 市内 各校 15名の 高校、小中学校生が
全国各校の 生徒会を 中心に 献納運動を 強力に 推進しよう。

国会に 働きかけよう。

と 活発な 討論を 行った。

 ○の 予報の ×▽が ◇△設備・機械の 不備に よるものと して
気象台に 飛行機を。
と S藤学級の 生徒が 中心と なり、全国の 各校に 呼びかけて 得た 募金 60万円を 昨年 10月 28日 気象台に 寄託したが、その後 何の反響もないので、この 協議会と なったもの。


この手の募金に協力する前に、募金を提供する先に、そういう募金を知っているかどうか、その募金の使い道は決っているのかどうかを、確かめた方がよい。こういう募金は詐欺の可能性もあるので。

と私が思ったのは、言うまでもない。

産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 市内版 8面
見舞金 要求など 4項目 決定  大阪 主婦の 会 森永への 交渉 打合す

全 大阪 森永 ミルク 中毒 被害者 同盟” では 11日 午後 1時から 大淀区 豊崎本通 2 ノ 5 「大阪 主婦の 会 幼稚園」で 第2回 常任委員会を 開き、森永に 対する 交渉の 打合せを 行った。委員会に さきだち 主婦の 会 馬場 チミ 会長から あっせん案が 提示されたが
要求項目も 決定しておらず、会社側との 交渉も 持たれて いないのに あっせん案を 出す。

とは 患者を 、無視している。

との 発言が あり、参考と することに して 図案は 撤回された。委員会では 主に 保障費、付添費などに ついて 討論されたが、12日 午前 10時から 森永 大阪 営業所で

一、発病時より 入院までの 費用(医者代、薬品代、ミルク代を 含む)を 早急 支払う こと。
一、全 中毒 被害者には 1人 1万円の 見舞金、すでに 決定した 入院患者 付添費 430円を 早急 支払う こと。
一、後遺症に ついては 全治するまでの 一切の 責任を 森永が 持つ こと。
一、慰謝料は
死亡者 250万円
重症者 100万円
中症者 70万円
軽症者 30万円

を 支払う こと。

の 4項目の 要求を 提出する ことを 決定、同 6時半 閉会した。

 なお 同盟では 岡山大学が この 中毒の 原因を 発見した ことに 感謝すると ともに、後遺症に ついても 徹底的に 究明して もらう ため 代表を 同大学に 派遣することに なった。


 この後、どうなったかを知りたかったら、下記サイトがお薦めである。
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/book_unu_jpe5_d04.html

産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)9月12日 月曜日 市内版 8面
、結婚できぬを 苦に 服毒自殺

 11日 午前 1時ごろ 尼崎市 元浜町、大阪○×タクシー 運転手 M田 Y子さん(33歳)(←不鮮明だった。35歳かもしれない)が 自宅で △◇を のみ 自殺した。結婚出来ぬのを 苦に したものらしい。


 このブログ記事は、『昭和30年頃の興味深い新聞記事など その2
http://supplementary.at.webry.info/200708/article_4.html
から続き、『昭和30年頃の興味深い記事など その4
http://supplementary.at.webry.info/200711/article_1.html
に続く。字数制限のため、分けた。








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