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help リーダーに追加 RSS 昭和31年頃の興味深い新聞記事など その4

<<   作成日時 : 2007/09/05 19:28   >>

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産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)11月15日 木曜日
制止の 警官を 袋叩き  威かく発砲で 鎮圧 松島新地で 酔客 乱闘

 14日 午後 11時 50分ごろ、大阪 西区 9条 北通 2ノ33、松島新地 Mクラブ前 路上で 数名の酔っ払いが 乱闘、急報で 大阪 西署 松島派出所 T(32歳 男性)、I (42歳 男性)両巡査が 現場に 急行、制止したが 聞き入れず、逆に、うち 2, 3名が T巡査に 襲いかかり、殴る けるの 暴行を 加えた 上、T巡査の 警棒を 奪い、加勢に 入った 付近の 不良 4, 5名と 一緒に なって
巡査を 殺して しまえ
と 袋叩きに し、取り押さえようと する 両巡査と 大乱闘に なった。T巡査は 奪われた 警棒で 右手に 負傷しながらも、酔漢たちを 巧みに 明るい 場所に 誘導、手錠を はめようと したが、酔漢たちは 更に 同巡査の 拳銃を 奪おうと したので、同巡査は 拳銃を とり出し、威かく発射、ひるむすきに I 巡査と 協力、うち 2人を 傷害、暴行、公務執行妨害現行犯で 逮捕した。

 兵庫県、船員 H(26歳 男性)、同 M(25歳 男性)で、同日 夕刻、大阪港に 入り、現場付近の スタンドで 飲食して いた ところ、付近の 不良たちに ケンカを 売られ、乱闘と なったと いって いる。なお、威かく発射での けが人は なかった。


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)11月15日 木曜日
刑事、暴れる 男を 刺殺

熊本】 14日 午後 11時 10分ごろ、熊本県 菊池郡 隅付町、某食堂で 同町、県議A氏の 長男 B(46歳)が 通りかかった 運転手を 殴りつけ、暴れて いるとの 知らせに ○×署 C 刑事(59歳 男性)が 現場に かけつけ 抑えようと したが、Bが 後ポケットに 切出しナイフを 入れて いたので、同刑事が これを とりあげようと して、格闘と なり、もみあう うち、同刑事は Bの 左胸、のど、左手、左ももの 4箇所を 突刺した。Bは 近くの病院に 収容されたが、同夜 11時 50分ごろ 死亡した。熊本地検では、格闘中、誤って 傷つけた ものか どうかに つき、調べて いたが、15日 午前 7時、C刑事を 傷害致死の 疑いで 緊急逮捕した。


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)11月15日 木曜日
飛込の 馬場 選手 負傷  五輪プールで 練習中

メルボルン 14日 AP=共同】 日本 水上 飛込の 馬場 豊 選手は 14日、オリンピック・プールで 練習の ダイビング中、誤って、蹴板に ぶつかり、右腕に 打撲裂傷を 負った。


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)11月15日 木曜日
I と 共謀”  京都の 誤判?事件  3人組の 1人が 自供

既報= さる 10日、大阪 高裁 斎藤裁判長 係 = で 開かれた 窃盗事件の 公判廷で
わたしが 真犯人だ
と 大阪拘置所に 拘置中の T (28歳 男性)が 名乗り、被告の I (25歳 男性)の 無実を 証言した 事件に つき、大阪高検では 京都地検と 連絡、事件の 真相を 究明して いたが、15日、同高検 Y 刑事 部長 検事は
現在、京都拘置所に 入って いる C(35歳 男性)(←原文には、実名が載っていたが、日本人の名字とは思えなかった)を 調べた 結果、Cは 問題の 窃盗事件は T、I、Cの 3人で やった ことを 自供して いる。I の 無実は あやまりで あり、これを 17日の 公判廷で 証明する
と 発表した。

 なお、京都地検では、Cに つき、3人組 窃盗事件の 共犯と して、同日、起訴する ことに 決定したが、Tに ついては、大阪高検 S検事が 検証、サギで 取調べ中で 処分は 一両日中に なる。

 また、Tが 大阪 田辺署に逮捕された 際、3人組 窃盗事件を 自供したにも かかわらず、起訴されて いない ことに ついては、同高検では、警察が 大阪地検に 送庁の さい、送致事実の 中に 入れるのを 忘れて いたものと みられると して いる。


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)12月1日 土曜日
1審通り 2年判決  京都の 偽証 真犯人 判決

既報= 控訴中、偶然、拘置所内で 顔を あわせた 共犯に 頼み込み
真犯人だ
と 偽証を して もらい、注目されて いた 京都 右京区、手伝職、前科 4犯 I (25歳 男性)の 窃盗事件 控訴 判決 公判は、1日、大阪高裁で 開かれ、網田 裁判長(斎藤 裁判長の 代行)は
1審の 有罪認定は 正しかった
と 被告の 控訴を しりぞけ、京都簡裁の 懲役 2年の 判決通りと なった。

 なお、T(28歳 男性)の 偽証に ついては、大阪高裁で 慎重に 審理した 結果
2度目の 証言で 真実を のべ、裁判を あやまらなかった
ことを 汲み、起訴猶予と した。


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)12月1日 土曜日
国鉄 吹田 工場 次長が 転落死  宴会帰りに 列車から

 30日 午後 11時半ごろ、国鉄 須磨駅 構内 下り 線路上に 50歳ぐらいの 男の 鉄道死体が あるのを 駅員が みつけた。須磨署で 調べた ところ、もちものから 神戸 須磨区、国鉄吹田 工場 次長 Wさん(55歳 男性)と わかった。Wさんは 同夜、同工場 首脳部の 宴会でを のみ、帰宅途中、誤って、列車から 転落した もの らしい


産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)12月1日 土曜日
会社解散、権利の 乱用  大阪 地裁 判決  従業員の 解雇も 無効

 大阪地裁 木下 裁判長は、1日
労働組合を つぶす ことを 目的と した 会社の 解散は、権利の 乱用で、社会の 秩序を 乱し、解散に ともなう、従業員の 解雇も、不当労働行為で ある
との 判決を 下した。これは、従業員側の 申請を、全面的に 入れ、新しい 判決と して、注目される。

 問題の 会社は、大阪 大正区、O 鉄工所で、同社 従業員 Sさん(男性)ら 10名が、本年 7月 7日、組合を 結成、夏季手当 獲得後、首を 切られた 一従業員の 解雇は 不当で あると、反対闘争を はじめたが、交渉が はかどらないため、大阪地労委に、あっせんを 申し入れ、会社側も これを 受け、交渉が 軌道に 乗りかけた 矢先、会社側は、突然、経営不振を 理由に、解散すると ともに、全従業員に 解雇を 言い渡した。これに 対し、Sさんら 7名は 不当労働行為で あると して
従業員と しての 地位保全
給料支払
の 仮処分を、大阪 地裁 民事部に 申請して いた もの。

 同裁判長は
解散は、企業主の 自由だが、今日では、無制約な ものでは なく 乱用しては ならない。この 場合、経営不振は 理由と ならない から、解散は 不当で あり、従って、解雇も 無効で ある。会社は、7名を 従業員と して 扱い、来年 1月 16日までの 給料を 支払え
との 判決を 下した。


 参考までに、現在の民法 第 1条 第 3項を下記に引用する。

民法 第 1条 第 3項
 権利の 濫用は、これを 許さない。


産業経済新聞 夕刊 大阪版 昭和31年(1956年)12月1日 土曜日 4版 B  3面
愛人の 教員 毒殺 “かぜ薬”と 同僚 女 先生  加古川

加古川】 30日 午後 11時半ごろ、加古川市、教員 O氏(27歳 男性)=加古郡 T小 4年 担当=が 自宅 六畳の 間で 就寝中、突然 苦しみ出し、父親(50歳 男性)の 寝室に かけ込み
あいつに だまされた
と いった まま 間もなく 死亡した。加古川署で 調べた ところ、同氏は、4年前から、深い 関係に あった 同市、養護 教員M(←原文では、実名であったが、私の今までの人生で聞いたことがないような珍しい名字だった)(34歳 女性)=同市 U小=宅から 午後 11時ごろ帰宅。Mから もらった 風邪薬を のんで 就寝後、間もなく、苦しみ出したもので、同署では、毒殺と みて、1日 朝、Eを、殺人容疑で 逮捕、犯行を 自供した。

 O氏は、4年前、同市 B小学校に 勤務中、当時、同校に 勤務して いた Eと 知合い、深い 関係と なり、これが 理由で、29年 4月、2人とも、現在の 勤務先に 転勤と なったが、最近、同氏に 結婚話が 持上った。このため、O氏から別れ話が 出されたが、Mは、妊娠 4ヶ月なので、O氏が ほかの 女と 結婚する くらいなら、心中しようと、毒薬 2服を 用意、たまたま、30日 午後 10時ごろ訪れたO氏が 風邪気味だと いうので、毒薬 1服を 与えたと いう。


産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)12月2日 日曜日 14版 7面
劇薬は 盗んだ 硝酸 ストリキニーネ  加古川の先生 殺し

加古川既報 = 別れ話から、30日 夜、愛人の 加古川市、教員 O氏(27歳 男性)=加古郡 T小 勤務=を 毒殺した 同市 K 医院 K氏(←原文では、実名であったが、私の今までの人生で聞いたことがないような珍しい名字だった)方 養護婦 M(34歳 女性)=加古川市U小勤務=を取調中の加古川署では、1日、同女を、殺人容疑で 逮捕、追及して いたが、同夜、犯行に 使用した 劇薬は、硝酸 ストリキニーネで ある ことが わかった。ストリキニーネは、本年 6月、K医師から、留守番を 頼まれたのを 幸いに、同医院 薬局から 0.5c(致死量 0.2c)を 盗み出し、所有して いた もの。


産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)12月2日 日曜日 14版 7面
女 事務員 殺さる えん恨? 風呂帰り・乳 刺され  神戸

 1日 午後 11時 40分ごろ、神戸 長田区 海運町、N運輸 事務員 C子さん(26歳 女性)が風呂からの 帰り、同町 6丁目、市立 野田小学校 西 約 50b付近で 何者かに左乳房を 鋭利な 刃物で 突き刺され ひん死の 重傷を 負い帰宅後、死亡した。兵庫県警では、Y 刑事部長、F 捜査 第一課長、K 強行犯係長が、現場に 急行、長田署に 捜査本部を おき、捜査を 開始したが、現場は 夜に なると 人通りも ない 寂しい ところで、えん恨に よる 計画的な 犯行では ないかと みられて いる。


産業経済新聞 夕刊 大阪版 昭和31年(1956年)12月2日 日曜日 4版 B 3面
顔見知りの 恨み?  “男と いさかい”の 目撃者  フロ帰りの 娘 殺し

既報=1日 午後 11時 40分ごろ、風呂帰りの、神戸市 長田区 海運町 会社 事務員 C子さん(26歳 女性)が 自宅付近の 暗ヤミで 刺殺された 事件に つき、兵庫県警 長田署 捜査本部では、2日、C子さんの 母親(55歳) および 勤務先の 同区 N 運輸から、C子さんの 交友関係 を中心に、事情を きいて いる。県立医大の 解剖結果に よると、致命傷は、 左 背部から 乳に 達する 刺傷に よる 出血多量と みられ、凶器は、刺身包丁ようの 鋭利な 刃物と 推定された。

 同本部では、2日朝、現場を 再検証したが
@現場が人通りも 少ない 寂しい 場所で ある こと。

A被害者の 洗面具が 散乱して おり、いきなり うしろから 一刺しされた もので なく、被害者と 犯人は 一言 二言 やりとりが あったと みられる ふしが ある。

B凶行前、ふろ帰りと みられる若い 男女が 現場付近で いさかい して いるのを 目撃した ものが ある。

C現場付近で 過去 3回 痴漢に よる 傷害事件が 発生して いる。
(←Cが何故、顔見知り説の根拠となるのか? むしろ、通りがかりの性犯罪説の根拠ではないか? それとも、通りがかりの性犯罪を装った顔見知りの犯行といいたいのか? もっとも、強姦されてないことは、刺殺された死体を調べた警察などが確認しているはずだから、少なくとも、強姦ではないと推定されるが。少し謎めいているが、原文通り入力した

などの 点から、顔見知りに よる、えん恨、あるいは、痴情の 線で、捜査を すすめて いるが、とくに、犯行前の 男女の いさかいを 重視、目撃者の 同区 本庄町、無職 K子さん(48歳 女性)から 事情を 聞いて おり、いまの ところ、物盗り説は 考えられないと して いる。

 近所の 人の 話に よると
C子さんは、終戦後 間もなく、現住所に 移り、4年前、父親が 死亡した あと、母親と 2人暮しで、素行も よく、会社では おとなしい 性格、女世帯だけに、しっかりした ところが、あった。

と いう。凶行当日は、会社の 公休で、午後 3時ごろから、買物に 出かけ、午後 5時ごろ、帰宅して いる。

K子さんの 話

 午後9時ごろ、私が、ふろに 行く ため、現場まで、きた とき、黒オーバーに、帽子を かぶった 若い 男が、道端に 立って いた。午後 10時半ごろと 思うが、こんどは、帰りにも、この 青年が、同じ 場所で ふろ行きと みられる若い 女性と、いさかいを、やって いるの をみた。男は、相当、激こうして いた らしく、女の えり首を つかんで、叱って いた 様子で、女は、うなだれて いた。


 目撃者が、ふろ行きとふろ帰りをどのように見分けたのかが、少し気になる。女性の髪が濡れていなかったから、ふろ行きと考えたとか、そういうことなのだろうか? また、この時代、日曜日に夕刊を発行している新聞があったことも分かる。

産業経済新聞 大阪版 夕刊 4版B 3面 昭和31年(1956年)12月2日 日曜日
内妻 刺し 飛込み 自殺  片町線 住道駅  別れ話から 工員

 2日 午前 7時10分ごろ、国鉄 片町線 住道駅構内で、片町発 住道行 電車=M 運転士男性)=に、大阪 大東市、Kさん(女性)方工員 H(25歳 男性)が、飛込み自殺を した。Hは、この 朝 7時ごろ、内妻 C子さん(21歳 女性)と別れ話の ことから 口論菜切り包丁で、C子さんに 切りつけ、顔を めった切りに したほか、左○×切△の重傷を 負わせ、その 足で、駅に 来て、飛込んだ もの。C子さんは、近くの S病院に 収容されたが、3ヶ月の 重傷。

 四條畷署で、事情を 調べて いるが、C子さんは、この 3月、×◇の 反対を 押切って、○役▽を して いた H と 同棲。H は 9月から、大東市の Y鋼業に、工員と して、勤めて いたが、Hに、生活能力が ない こと から、別れ話に なったと いう。C子さんは、妊娠 3ヶ月だった。


産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)12月6日 木曜日 14版 7面
同せい男の 長女 謀殺?  財産 ほしさ 伊勢の 母娘を 追及

伊勢】 三重県 伊勢崎署では、去月 下旬、総額 二千万円に のぼる 出資金を 横領、出資金、預り金 および 利子等に 関する 法律 違反 容疑で、逮捕した 伊勢市、無職 津木 うめ(53歳)=仮名=、長女 T子(31歳)の 親子を 取調べた 結果、さる 27年 7月、T子と 同せい していた 元某本社(←原文の社名から判断すると、三井・三菱・住友・安田のどれかの系列の会社である)営業 課長 代理 E 氏(43歳 男性)=吹田市=の 長女 Y子さん(当時 14歳)=伊勢市 K中 2年 中退=を、津木 親子が財産 乗っ取りの ため、謀殺した疑いが 重く なり、5日 夜、捜査の ため、捜査員を、大阪、神戸に 派遣、捜査に 乗り出した。

 調べに よると T子は 21年ごろから、いとこ婿で ある E氏と 同せいして いたが、同氏は、27年 はじめ、使い込みが ばれて、会社を 退職、同 5月、突然、行方不明に なった。

 このあと、津木親子の もとに、残って いた Y子さんは、同年 7月 19日、原因不明の 病気で急死、津木親子は、E氏の 財産を 整理して、80万円を 入手した もので、謀殺と みられる 点は
@Y子さんは、当時、津木親子に 手足を 縛られ、袋に 入れられるなど、ひどい 目に あって いると 先生や 友人に もらして おり、深夜、担当教員宅に 救いを 求めて、かけ込んだ ことも、2, 3度 ある。

AE氏は、相当な 財産を 残して いると いわれる。

BY子さんの 死んだ ことを 誰にも 通知しなかった。

などが あげられ、同署では E氏の 行方 および 死亡診断書を 作成した 医師某 などの捜査を 進めている。


産業経済新聞 大阪版 市内版 昭和31年(1956年)12月24日 月曜日 8面
妻を 捜して… 子供が 可哀想と 届出る

妻を 捜して ください
と 23日 午後、生野区、Aさん(30歳 男性)が 生野署に 届出た。最近、Aさんの 妻、Cさん(25歳)が夕食後、よく 外出するので、Aさんが 注意した ところ、さる 14日 夜、家出した もので
正月も 近づいたし、長女5つも 可哀想だから、1日も 早く 帰って くれ
と いって いる。


下記新聞記事はマイクロフィルムのためか、著しく不鮮明であり、〜と入力した箇所がある。

産業経済新聞 大阪版 市内版 昭和31年(1956年)12月28日金曜日 8面
増えた 殺人・強盗犯  高検が 白書  覚せい剤 事件は 激減

 大阪 高検では、27日、管内 近畿 2府 4県の 31年度 犯罪白書を 発表した。同高検が 今年 12月 20日までに 受理した 事件は 60万 2千余件で、30年度と 比べると、覚せい剤事件が、ほとんど、なくなり、〜景気を 〜の あらわれと いえる。

 窃盗、詐欺、横領の 財産犯○×は 8 %から 2, 3 %と かなりの 減少を みせ、このほか 目立った ものでは 食管法の 51 %、◇△の 16 %減が ある。

 増加した もの では、まず、恐かつ:2652件、暴行傷害:2200件で、8月以降、本格的に なった 暴力排除運動の 結果、7%から 19%の 増加に なって いる。次いで、過失傷害の 約 1300件、17%増で、このうち、ほとんどが 自動車に はねられたと いう ケースで ある。殺人は 628件、2.8%、強盗:424件、3.2%、放火:160件、7.4%と凶悪犯は 増加して いる。

 このほか、道交法関係は、41万 5千余件と 約 10万件の 減少を みせて いるが、これは 交通裁判所の 設置で 事件が 即決される ように なった ためと 運転手の 自戒が 原因と みられて いる。


 下記サイトは、昭和30年代前半の大阪の中学校の先生の様子がわかり、興味深いので、そのURLを下記に載せる。
http://www.eonet.ne.jp/~yowara/omoide/album.html

 せっかくだから
http://www.life-bio.or.jp/topics/topics239.html
から、下記に引用する。1950年代以降、暴力的犯罪発生率は減少しているらしい

平成18年11月7日()岐阜市の岐阜県民ふれあい会館14階のレストランエトワールにて、NPO法人くらしとバイオプラザ21では、岐阜県健康福祉部生活衛生課との共催でバイオカフェを開催しました。お話は、毎日新聞社記者の小島正美さんによる、第1部『新聞記事のウソ・ホント』、第2部『気になる残留農薬〜ポジティブリスト』でした。
中略
第一部『新聞記事のウソ・ホント〜BSE、鳥インフルエンザに学ぶ
中略
情報とのつきあい方
…中略…
o暴力的犯罪発生率のグラフを示して、1950年代以降、発生件数は確実に減少している。マスコミが恐怖心をあおっているのではないか? 防犯コストばかり増える。学校周辺では、パトロールが頻繁に行われているが、外部との接触が少なくなり過ぎると地域社会から隔離されてしまうのではないか。他者からの犯罪被害よりも、最近は身内の犯罪、親からの虐待の方が多くなってきている。


このブログ記事は、『昭和31年頃の興味深い新聞記事など その3
http://supplementary.at.webry.info/200705/article_7.html
から続く。字数制限のため、分けた。

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