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help リーダーに追加 RSS 昭和11年4月の興味深い新聞記事など その2

<<   作成日時 : 2007/07/23 17:43   >>

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東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 G 1面
悲喜劇 “200円の 腹巻” 拾った 人夫は 3日間の 流連  遺言に 驚く 落とし主

 板橋区 練馬貫井町の 東京市 練馬 塵芥処分場 人夫 K(41)(←満39〜40歳?)が 去る 12日 午過 塵山を 整理していると 汚れた 晒木綿の 腹巻が 鉄の 熊手に 引っかかって 来た。手に 取り上げて 糸目を ほぐしてみると 現われたのが 10円札 20枚
どうせ 塵ぐるみ 捨てちゃったのだから、金の 主も 判るめえ・・・

と 早速 その金を 懐に して 先ず 借金を 支払い 近所を 飲み歩いた 挙句 吉原に しけ込み 15日 朝まで 3日3晩 流連けて どんちゃん騒ぎの 大尽遊び・・・

話 変わって 豊島区 長崎南町 映画仲介業 鈴木 三郎=仮名=方では 母親 はる さん(79)(←満77〜78歳?仮名)が 去る 11日に 脳溢血で 亡くなり 遺骸を 清めていた 同家の 細君 さくら さん(43)(←満41〜42歳? 仮名)が はる 婆さんの 汚れた 下着を 取り替える時 婆さんの 肌に ついていた 煮しめたような 色に なっていた 晒の 腹巻を 芥箱に 捨てた。

 それから 8日を 過ぎた 19日 家の 中を 整理していると 箪笥の 中から 現われたのは 昭和6年の 日付で 認められた はる 婆さん 自筆の 遺書・・・
腹巻の 中に 200円を 入れて あります。これを 私の 葬儀費用に 当てて 下さい。 頼みます。


 早速 目白署に 届けたり 練馬の 処分場に 問い合わせたり 一家は 大慌てに 腹巻の 手配に 狂奔していた時は もう 手遅れと なっていた。

 人夫 Kは 15日 朝 吉原で 悪銭を すっかり はたいてしまった所を 日本堤署の S刑事に 不審者と して 引致され 出所を 自白、冷たい 留置場で 寝覚めの 悪い 毎日を 送っていたが 23日に 至って はじめて 一切が 明らかにされ 鈴木 方では 今更 地団駄 踏んでも 追いつかず 横領人夫を 恨みながら 悄々と 警察を 引退って 行った。


 念のため、書いておくが、「大尽遊び:遊里における豪遊」という意味である。

東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 G 1面
狂女にも 母性愛 保護室での つぶやきから 松屋 捨て子の 主 判る

 去る 21日 昼、浅草 松屋の 7階で 生れたばかりの 赤ん坊を 少女の 手に あずけて 行方を 晦ました 女は 下谷区 竹町 印刷職工 H(男性) 妻 S子(35)(←満33〜34歳? )と 判明した。

 このほど この 赤ん坊を 産むと 間もなく 産後の 肥立 悪く 精神異常と なったが 夫は、この 妻と 子を 捨てて 行方不明となり 哀れな 妻は それも 知らず まだ 名も つけない 赤ん坊を 抱いて 浅草 松屋に 遊びに 来て 見知らぬ 少女の 手に 托したまま、親戚も なければ 行ったことも ない 栃木県 足利へ 東武電車に 乗って 出かけ、同市を 徘徊中 同署員に 保護されていた。

 狂った 精神にも 愛児の 姿が 映るのか、ふと 保護室で 洩らした 言葉
松屋に あずけて 来た 赤ちゃんは おっぱいが なくて 泣いて いは しないかしら。
(←原文は、「泣いてゐはしないかしらと表記されていた
の 一言が 端緒なって 心なき 捨て子の 経緯が 判明、象潟署に 送り還されて来た。

 同署でも 事情を 察して 捨て子の 処分は 避け、目下 方面委員に あずけられてある 赤ん坊と ともに 一両日中に 親戚を 呼び出して 引渡すことに なるらしい。


東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 G 1面
集まる 世間の 情を “奥様の 霊前に” 可憐 若妻殺しの 妻女

 去る 21日 荻窪署の N 部長刑事の もとに 届いた 1通の 手紙 ー

 差出人は まだ 記憶にも 生々しい 荻窪の 人妻殺し 犯人 S(男性)の 妻 H さん(31)(←満29〜30歳? )。その文面によれば

 
このたび 夫の 犯した 大罪は 考えるだけでも 空恐ろしく、謹慎の 生活を 送って 居りますが 先頃から 見舞って 下さる たくさんの 手紙の 中に 一無名の 婦人から 生活の 足しに せよと 3円の 小為替を 送って 下さいました。夫に 殺された K さんの 奥さんの ことを 考えると、こんな ものを いただくことは 私の 心が 許しません。どうか これで 奥さんの 霊前に お線香の 1本でも お供え 下さいますように。私が お目に かかれる 筋合いでは ないので お頼り する 次第で ございます。


と あって、3円の 小為替が 同封して あった。罪の ない 妻 H さんの 志に 同情した 同部長は、早速 この 小為替を 事件解決後 移転した 中野区 本町通 K(男性)方に 届けたが 同家では

 
その 志は まことに うれしいが、それを うけとるのは 筋道が ちがう。


と 固辞して 22日 丁度 亡妻 I 子 さんの 49日忌の 霊前に 一応 供えて 再び 24日 N 部長の 手を 経て S の 妻 H さんに 返す ことと なった。


東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 G 1面
将来を 嘱された S分 画伯 縊死   芸術的煩悶からか
虫に 等しと 遺書 死まで 制作    濡れてた カンバス


 微笑の 文士、ユーモリストと して 輩出していた 洋画壇の 中堅作家、菊帝展 特選 3回の S分 眞 氏(39・男性)(←満37〜38歳? )が 滝野川区 西ヶ原の 自宅 アトリエ 入口で 縊死を 遂げて いるのを 23日 午前 9時頃 同家 女中 S本 さん(27・女性)(←満25〜26歳?)が 発見した。一粒種の J一 君(14・男性)(←満12〜13歳? )と 叔母 S木 さん(55)(←満53〜54歳? )の 3人暮らしで S子 母堂(70・女性)(←満68〜69歳? )(←文脈から、亡くなった妻の母であることがわかる)は 郷里 名古屋市 西区 上長者町から 21日 上京。22日夜は 母、叔母、S分 氏 3人で 好きな 寄席 見物に 出かけ、10時半頃 帰宅して 独り アトリエに 閉じこもった。
 寄席で 母堂が
 お茶を 飲まないかい。

と 茶碗を 差し出すと、S分 氏は
 
は、恐れいります。

と 答えたそうで
 帰宅後 S子 母堂が
 
眞 さんは いつもに 似合わず おとなしいねえ。
と もらしていたそうだ。縊死は 23日 午前 1時頃と 推定される。

 親友 文藝春秋 社員 R太郎 (男性)氏 及び M田 博士 (男性)等が 駆けつけた 時には、アトリエには 絵が 山の ように 積んであり、画架に 乗せられた 写生画『室内』の 絵の具は まだ 濡れて いたので、常用の ウイスキーを 飲みつつ、最後まで 制作していたと 見られて いる。机の 上の 遺書 3通 あり 1通は
 母上様 はじめ 皆々様

と して 封筒の 中央に 遺書と 大書し、その端に
 
天地万物に 感激し ザンゲ します。


 
母上様 はじめ 皆々様、お許し下さいと いう 勇気まで なく 死にます。J一、ほんとうに 強い 男に なって 下さい。         眞


 他の 1通は 封筒に
 Y多 大兄
 
と して
 私は 全く 生存の 価値と 資格の ない 人間で ある ことが 判った。ムシに 等しいもので ある女の 問題では もちろん ない。万物に 感謝し ザンゲす。Y多 兄 もう1度 呼ばせてくれ給え。         眞


 更に M田 博士 宛には 文藝春秋社の 原稿用紙に ただ 2行の 走り書きで
 仕事が 駄目だ。今に なって 何にも 出来ない。死ぬ こと だけが 出来る 男だ。万物に 感謝する。

と あった。この 遺書に よっても 同氏の 死因は 全く 芸術的の 煩悶と みられて いる。

 柔道は パリ仕込みの 2段。日頃は ユーモリストらしく 非常に 陽気な 性質で 友人と よく 酒を 飲み歩き昭和9年 8月には 銀座の 一女給が 同氏を 慕って 服毒騒ぎを 起こしたことも あったが、半年前位から
女にも あきた。

と もらして、アトリエに 精進を 続けて いたので、同夜 集まった K吉 画伯(男性)、R太郎 氏 等 画壇 文壇の 友人、東◇専務 ○×吉 氏(←漢字がつぶれていたので、記号で入力した)を 始め 同社の 人々 多数が 集まって 非常に 残念がって いた。

 告別式は 26日 午後2時から 3時まで 同家で 執行される。

 氏は 大正 11年 美校 洋画科 出身。10年前 S子 夫人に 死別。昭和3年に 単身 渡仏。一旦 帰朝し 更に 渡仏。昭和9年に 帰朝してからは 小林 一三 氏に 招かれて 東◇劇場 美術部 嘱託と なり 東◇の 舞台装置にも 携わっていた 昨年 帝展 脱退後 二部会 会員に 推薦されたが これを 拒絶して、独自の 立場で 制作に 精進しており 一方 最近では フランス時代の 友人 M田 医博、I 藤(男性)、I 黒 氏(男性)等の 仲間が 集まって ユーモリストの 会『風流会』を 作り、陽気な 文学でも 認められて いた ものである。 
      

 念のため、書くが、「humorist:ユーモアのある人。ユーモア作家」という意味である。

大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
新大阪ホテルの 怪盗は 混血児? 奉天へ 手配

 去る 27日 新大阪ホテル 2階 廊下に 陳列中の 宝石(約 2千円)が紛失しているのに 気づいた 同ホテルでは 秘密裏に 川口署へ 届出て 同署 K, H 両刑事の 手で 極力 捜査中 犯人は 同ホテルに 宿泊していた 混血児 マーク (33年・仮名)(←つぶれていた。35年かもしれない)(←33年であれば、満31〜32歳? )の 所為と 推定され 追跡中で ある。

 同人は 12日から 15日まで 同ホテルに 投宿し 再び 18日から 20日 午後 出発するまで 滞在したもので 21日 朝 下関より 奉天へ 向ったことが 判明した。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
作業中、人夫 電死

 23日 午前 8時半 大阪 東区 備後町 O組 請負 T商店 建築場 地下室で 人夫 M(23年・男性)(←満21〜22歳? )が 作業中、過って 250ボルトの 電灯線に 触れ 感電 即死した。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
交通巡査 奇禍

 23日 午前 10時 大阪 西区 土佐堀通 肥後橋 南詰で 西走する 北区 堂島小型タクシー 大 6438 號 = 運転手 T A烈(←中国人のような実名だった)(21年)(満19〜20歳)=が 過って 軌道工事中の 材木を 跳ねあげ 傍らで 交通整理中の 川口署 M田 M 巡査(34年)(満32〜33歳)の 左下腿部に あたり 同巡査は 治療 2週間の 傷を 負った。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
京の 素封家の 若い 妻女 自殺  養母と 口論  妊娠中 家出

 22日 未明 大津駅 東方 東海道線 月見坂 踏切 上り 線路上に 轢死体と なって 発見された 若い 女の 身元は 京都 左京区 田中野神町 素封家 K 氏(男性) 妻 S子(23年)(←満21〜22歳? )と 判明。

 同女は 同志社 英文科を 卒業。昨年 10月 結婚し 目下 妊娠 3ヶ月で あるが、21日 夜 養母 N さんと 些細な ことから 口論し 妊娠中の こととて 発作的興奮に 駆られ 家出 自殺を 遂げたものらしい。      (大津


 念のため、書くが、「素封:金持ち。財産家」という意味である。

大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月24日 金曜日 第4版 2面
改悛 1分間 廊下で チラリ 見た 羽織環 “”と 直感して 呑み込む

 23日 大阪区裁判所で 懲役 2年を 求刑された コソ泥、宮崎県 北諸方郡 中郷村 T(29年男性)(←満27〜28歳? )と いう 男 来阪した 日に 口入屋で がま口を 失敬したと いう 罪なんだが この 求刑に
もう 二度と 悪いことを しませぬ。生まれ変わって 真人間の 生活を します。

と 平身低頭、心から 改心を 誓ったが、いざ 北区支所へ 護送となって 一歩 廊下へ 出た 刹那 同じ 公判廷で 裁判を 受けた 窃盗 被告 N男(男性)が 真鍮製の 羽織の かんを 落としたのを チラッと 見て
黄金の かんだ。

と 直感。素早く 拾って 嚥下して しまった。この“1分間 改心”には 係官たちも 呆れるばかり。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日 土曜日 第4版 2面
猫撫で声の 強盗  金を 見ながら 慌てて 逃ぐ

 24日 午前 3時半 大阪府 中河内郡 矢田村 矢田市場前 すし商 M田 M一(男性)方 裏塀を 乗越え ガラス障子の 腰板を 焼切って 布で 覆面した ジャンパー、ズボン、靴下と いう 黒ずくめの 賊が 侵入。

 階下で 女物 腕巻時計、十八金 指輪、バット 1個を 盗み 更に 2階の 箪笥を かきまわしている 物音に 母 T さんが 目を 覚まし
誰や。

と 声を かけると 賊は 女の ような 優しい 声で
金を 出しなさい。声を 出すと 殺しますぞ。

と 短刀ようの ものを つきつけ、さらに M一 さん 夫婦にも 優しい 脅し文句を ならべているうち 妻 M子さんが 34円 50銭を 並べて 出すと T さんが 便所に 立ったのを 見て 賊は 早合点し 金を 見ながら 大狼狽して 逃走した。

 三宅署では その 手口、人相から みて 去る 3月 25日 同郡 松原村 T見 飲食店 A 方(←原文には、実名が載っていたが、男性か、女性かわからなかった)に 押入った 強盗と 同一犯人と みて 厳探中。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日 土曜日 第4版 2面
煙草屋へ 2人 強盗  共産党だと

 24日 午前 3時半 大阪 東成区 猪飼野 煙草商 T崎 U朗(男性)方 2階 南側の 空気抜き窓から 30歳ぐらい 黒の 詰襟服に 白布で 覆面した 男と 22, 3歳 黒色ジャンパー姿の 男が 侵入、階下 4畳半の 間に 就寝中の U朗さん(33年)(←満31, 32歳? )と 妻 H (24年)(←満22, 23歳? )の 夫婦を 揺り起こし 手に 手に ナイフで 脅かした上
共産党から 頼まれて 来た。資金に するのだ。金を 出せ。

と 脅迫。21円在中の ガマ口を 強奪した上、夫婦に 猿轡を はめ 1時間余 室内を 物色しているうちに 夜が 明けかけたので 妻女 H さんが
もう 夜が 明けた。早く 逃げぬと 警察に 捕まる。

と いうと 賊は あわてて 逃走した。

 その際 付近の 植木職 K一さん(43年・男性)(←満41〜42歳? )が この 強盗の 姿を 認めたが
まさか 強盗とは 思いませんでした。それと 知ったら。

と くやんで いた。なお 同家は 泥棒に 二度までも 見舞われており 三度目の 受難で あると。


大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日 土曜日 第4版 2面
美人 OK 大阪市 美術館 看視員の 採用

 来月 1日から 開く 大阪市 美術館の 女看視員、改札嬢や 守衛の 臨時雇 66名を 採用のため 24日 朝 大阪市立中央職業紹介所で 採用試験が 行われた。

 
新装の 美術館を 飾るに ふさわしい 感じの いい 美人
と いう 注文なので 紹介所では すでに 予選ずみの 80名の 娘さんを 呼び出したもので テストの 結果 56名を 選び出した。また 35名の 青年の 中から 貴重な 陳列品を 衛る 屈強の 守衛君 10名をも 採用した。雇用期間は 来月 1日から 20日までで あるが 展覧会などの 度ごとに 何時でも 呼び出せるような エキストラ女看視員を ピックアップするはずだと。


東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日 土曜日 G 11面
懐中に 文久銭と 厭世の 遺書
 
 24日 午後11時半頃 浅草区 新谷町先 路上に 15, 6歳(←満13〜15歳? )の 小僧風の 少年が 倒れていたので 浅草寺病院に 収容したが 間もなく 絶命した。劇薬自殺を 遂げたもので 懐中に 文久銭 2枚と
世の 中が 厭に なりましたから 死んで いきます   進、叔父様

の 遺書が あった。


東京朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日 土曜日 G 11面
女中風の 飛込み自殺

 24日 午後3時半頃 省線 秋葉原駅 ホームに 佇んでいた 割烹着、紺色矢○(←漢字がつぶれていたので、記号で入力した)の 袷、20歳(←満18〜19歳? )位、女中風の 女が 進行して 来た 電車に 飛び込み自殺を 遂げた。


















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