産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)3月22日 木曜日 4版 3面 『宮崎医科大学年報(T) 平成3年度 1991〜1992』(編集:宮崎医科大学総合評価検討委員会。発行:宮崎医科大学。平成4年10月27日発行)p 19, 23によれば 昭和49年度(1974年度)に宮崎医科大学医学部医学科に入学した101名のうち 昭和54年度(1979年度)に無事、卒業した者は72名であった。 101-72=29であるから、29名は、留年したか、または、退学したのだろう。 29÷101×100=28.71…であるから、約29%が、留年したか、または、 退学したということである。 この事実が、新聞で報道されたかどうか、私は知らない。なお、念のため、書いておくが、私は、これを、最初に読んだとき、宮崎医科大学医学部医学科が、留年したか、または、退学した人数を正直に年報に書いて、情報公開していることに好感を持ってしまったことを付け加えておく。 ちなみに、その年報 p 22から、昭和49年度から、平成3年度までの退学者数の合計を読み取ると 宮崎医科大学 医学部 医学科 1学年の 退学者数:18名 であった。 せっかくだから、これらから、各年度における平均退学者数(←毎年、各学年で何名が退学するかということである)を計算してみよう。上記をそれぞれ、18で割れば、それはでてくるので、そうする。 宮崎医科大学 医学部 医学科 1学年の 平均退学者数:約1.00名 ついでに、その年報 p 20から、昭和49年度から、平成3年度までの原級者数(←単純に説明すると、留年した人数という意味である)の合計を読み取ると 宮崎医科大学 医学部 医学科 1学年の 原級者数:60名 であった。 せっかくだから、これらから、各年度における平均原級者数(←単純に説明すると、毎年、各学年で何名が留年するかということである)を計算してみよう。上記をそれぞれ、18で割れば、それはでてくるので、そうする。 宮崎医科大学 医学部 医学科 1学年の 平均原級者数:約 3.33 名 ちなみに、平成4年度の宮崎医科大学医学部医学科は国立大学であり、入学定員は100名であった。 また、平成3年度当時の宮崎医科大学医学部医学科は、各学年で修得することが、義務付けられている授業科目をクリアしなければ、原則として進級できない「学年制」を採用していた。ただ、少なくとも、開学から、平成3年度までは、学年制を採用していたようである。この年報を読んで、表を見る限りでは、そのように推定される。 【おまけ】(←2007年6月26日以降に記載した) http://blogs.dion.ne.jp/new_world/archives/909754.html に 今日、ある 授業の 初日だったの ですが、その 担当の 教官が 恐ろしい 言葉を 発しました。 (←このブログのプロフィールから考えると、京大理学部の話らしい) と記載されていた。2005年(平成17年)4月12日時点の京大理学部(←4年制の大学・学部である)の話らしい。100÷300=0.33…, 10÷300=0.033…であるから、入学定員の約33%が留年を経験し、入学定員の約3.3%が、退学するということになる。 ところで、新聞記事の著作権は原則として、公表後50年であるらしい。そのへんに関しては、下記サイト参照。 『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AE%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%9C%9F%E9%96%93 なお、このブログ記事に関しては、自由に使用してよいものとする。さらに、特殊な漢字や文字が用いられていたが、現在、一般的に用いられているであろう漢字や文字に直して載せたことも念のため、断っておく。 ちなみに、産業経済新聞大阪版は、大阪府立中央図書館でコピーしたものを手入力したものであるが、その図書館では、昭和30年以降の数年間、産業経済新聞大阪版はマイクロフィルムしかなく、判読困難な箇所があり、そういう箇所は前後の文脈から推測したことを念のため、断っておく。 |
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