寄せられたシワは一向にのびることなく
<<
作成日時 : 2007/04/29 21:37
>>
ブログ気持玉 0 /
トラックバック 8 /
コメント 0
産業経済新聞 大阪版 昭和29年(1954年)10月11日 月曜日 3面
中小企業 大阪府 不況対策審議会を 採点する 重点は 『不渡対策』 資金面での 成果 望めぬ?
デフレの 進行速度は 一般に やや 緩んだと みられて いるが、中小企業への 風あたりは 依然 きつく、寄せられた シワは 一向に のびる こと なく、ことに 年末に あと 2ヵ月足らずの 時期を ひかえ、金繰りの 深刻さは 相変らずの 様相を 呈して いる。こうした 苦しい 中に 大阪府の 中小企業不況対策が 出来上り、来る 20日頃に 予定の 本審議会で 最終的な 検討を 加えた うえ、赤間知事に 答申、何とか この 不況を のり切ろうと いう ことに なったが、果たして のり切れるか どうか、まとまった 各部会からの 注文と 府の 対策案から 総合的な 検討を 加えて みよう。
大阪府 中小企業 審議会が 赤間知事の お声がかりで 出来た 直接の 動機は 当時の 磐田、丸永、糸岡、松居メリヤスなど 大中商社が 相次いで 倒産し、この シワ寄せが 泉州 機業地 一帯を カキ回した ことと、さらに デフレ台風が 急速に 発達、猛威を ふるいはじめ、機械 金属から 小売商に いたるまで 根こそぎ 吹き飛ばそうと する 気配が 濃化した 7月 中旬ごろで、同審議会が 国際 見本市 会館で 大中小の 各界代表を モウラ、物々しい フンイキの 中で 発足した 折は、丁度 一万田 日銀 総裁が 関西 財界の デフレ政策観を 聞きに 来阪した 当日と 機を いつに しただけに、その 反響は 相当な もので、同審議会に 委員と して 出席した 日本 タルク 社長 森井 庄内 氏などは 早速、例の 毒舌ぶりを 発揮
“対策を 樹てても 政府が これを 具体化して くれねば、折角の 案も 無駄に 終る。知事に その 用意が あるなら 審議しても よい”
と 真ッ向から 遠慮の ない 注文を つけると いう 緊張した 空気を ただよわせた ものだが、それ以来、繊維、機械 金属、化学、小売、金融、一般の 6部会が 約 3ヶ月間に わたり、15回の 審議を 重ね、ヤッと この 審議資料が 出来上った わけで ある。
各部会が 1番、重点を 置いた 問題は やはり 不渡手形 激増に 対する 対策と 信用取引の 健全化で、各部会とも 口を 揃えて
手形サイトは 最高 60日に 抑え、工場設備や 商品を 担保に 単名融資し、これを 当座預金に 振替えての 現金取引を 促進せよ。
との 声が 高かった。しかし、取引の 健全化、信用秩序の 安全化を 実現すると いう 段に なると、落付く 先は やはり 決済資金の 融通と いう 固い 大きな 壁に ぶつかる。しかし、金融部会の 方では、こと 融資問題と なると 余り 良い 顔は せず
“サイトを 短縮し、不渡には 強い 制裁を 加え、1万円 以下の ものは 手形と しない”
ことなどは 大いに 賛成意見を のべるが、決済融資の 融通問題には 一言 半句も 発言しない 当り、まことに バンクマンの 面目躍如たる ところを みせて いる。
こうした 金融部会の 態度は 部会長の 安江 商工中金 大阪 支所長を 中心に 市中銀行、中小金融公庫、国民金融公庫、信用金庫、信用組合に いたるまで 何しろ 金融機関代表で とりまいて いる だけに 他の 業界から 選ばれた 代表委員などの 意見は 単に 聞き置くと いった 程度で すべて いわゆる “金融独走” を 文字通りに 押通し、この 不況対策も 資金面からは 余り パッと した 成果は 望めないのでは ないかと いうのが 内外の 共通した 声の ようで ある。
ただ 希望が もてる ものと しては 1億 2千万円の 府財政を 信用保証協会に 預け、これを 損失補償基金と して 約 20億円を 操短資金と するのを はじめ、年末を 目標の 7億円 特別融資、さらに 雑貨輸出組合と タイアップする 加工貿易 原材料 会社の 設立、5千万円の 輸出品 製造資金 融通制度の 計画など 不況対策に 対する 府 商工部の 方針が 一応 具体化に 向って 進みつつ ある ことで 万更 無駄で あったとは 考えられないが、しかし、一般 業界側 委員は デフレ政策とは 切っても 切れない 仲の コスト引下げは 余り 好まないし、また、生産の 調整も 必要で あると いいながら、これも やりたがらないのが 本心の ようで ある。
上記新聞記事からは、昭和29年10月は、不況、かつ、デフレーションだったことがわかる。同じ紙面に、次の財界随想も載っていたので、下記に入力する。
産業経済新聞 大阪版 昭和29年(1954年)10月11日 月曜日 3面
財界随想 勤勉と節約 堀田 庄三
最近 80日ほど 欧米諸国を 視察旅行したが、その時 外国人から 日本に ついて 誉められたことが 3つ あった。それは
日本は大国である。日本の婦人は素晴らしい。日本国民は勤勉である。
という3つの点であった。ところが、第一の 日本が 大国で あると いうのは よく 聞いてみると、結局、日本の 人口が 多いと いう 事の ようで あった。確かに日本の 人口 8800万人は 中国の 6億、印度の 3億 7000万、ソ連の 2億、米国の 1億 6000万に 次いで 第5位で あるが、資源貧弱で 扶養力の 乏しい 我国に とっては、この人口過多が、あらゆる 経済的困難の 根本原因と なっており、決して 誉められて 喜んで いられるものではない。国土に 比して人口 少なく、豊かな 生活を 享受している西欧の 国々を 見るにつけ、全く 羨ましく 感じた 次第である。第二の 日本婦人は 素晴らしい ということは 謙虚の 美徳を 備え、内に 溢れる 優しさを 湛えていると いうことであるが、これは 特に 米国で よく 聞かされ、婦人の 権力の 強い 欧米の 男性が 日本婦人を 讃える 気持は よく わかる。問題は 第三の 日本国民が 勤勉で あると いう点で ある。これは 経済問題に 最も 深い 関係を 持っていることで あるから、少し 掘り下げて 考えてみたい。戦前は 確かに 日本国民は 勤勉で あり、米国や 南米に 渡った 人々が これを 世界に 実証したもので ある。しかし、最近は 果たして、我々は 勤勉と いい得るで あろうか。外国人の 脳裏には 明治以来 僅か 半世紀間に 驚異的発展をした 我が国民の 努力振りに 眼を みはった 印象が なお 残っている 為で あろうか、現状を 顧みて 誉められた 私は 内心、忸泥たるを 感じ得なかった。
戦後、我国の 風潮には、民主主義や 労働運動等の 発展の 影に 隠れた 勤労軽視の 傾向が ないと いい切れるで あろうか。敗戦と インフレの 混乱の さ中に あって、精神的な 支柱や 国民的信念が 失われんとしたことは やむを得ない 点も あるが、既に 10年近い 歳月を 経た今日、なお 精神的支柱が 立ち直らない 状態では、経済再建は 至難と いうの 外は ない。
海外を 視察した 時の 私の 印象では、この点に おいても 我々の 学ぶべき 例は 枚挙に 遑が ない。どこの 国でも 勤務時間中の 勤労者の 真剣な 緊張振りは 大したもので、我国の 職場の 空気とは 非常に 異なった 真剣味が 感ぜられた。また、富裕の 国、米国に おいてすら 勤労意欲は 非常に 高く、50歳前後の 婦人までが よく 働いているのを 見かけた。例えば、大会社、大銀行の 秘書は 殆ど 中老年の 夫人で あり、朝、昼の ホテルでの 食事の サービスは 勿論の こと、ニューヨーク、シカゴなどの 大ビルディングの エレベーターは 大部分、中年 もしくは 老年の 婦人に よって 働かされている。また、科学的な 労働管理と 合理的な 雇用契約の 然らしめるところで あろうが、経営者の 勤務に 対する メリットの 付け方は 極めて 厳しいものが ある。このような 経営者の 下で 勤労者自身が 誰も「ジョーンズ以上に」即ち 人より 余計に という 気構えで 働いている。このような 真摯な 勤労意欲が 米国経済の 偉大な 生産性を 支えているのである。
また、英国や ドイツに おいても、勤労者が 仕事に 対する 強い 責任感、義務感を もっている 事は 驚く 程で ある。就中 ドイツ国民の 勤勉さと 質素には 全く 感服した。ドイツ国民は 祖国が 戦場と なり、工場も 家も 廃墟と 化し、文字通り 無一物から 立ち上ったため、総てを 自らの 働きに よって 作らねば ならぬという、真剣な 勤労精神を 持っている。住宅の 例を みても、政府の 対策のみでは 勿論 足る 筈が ないから、労働者自らが オーバー・タイムの 仕事を 要求して その収入で 自分で 家を 建てると いった 具合で ある。従って、経営者が もう 働くな といって ブレーキを かけていると いう 話を 聞いた。これは 1948年、厳格な 通貨政策を 断行し、国民を 働く 以外に 生きていく 方法の ない 状態に 追込んだことにも 一因が あるが、それに 耐えて 能く 働き通した 国民性も 実に 立派なもので ある。
私は 西欧諸国を 巡って、経済復興の 早かった 国には 共通の 要因と して、政治情勢が 安定していること、労働事情が 安定していること、厳格な 通貨金融政策に よって 通貨価値が 維持されていること、国際収支の 改善、就中輸出振興に対する 不断の 努力が 払われていること等が 見られる 事を 痛感したのであるが、これらの 要因も 裏を 返せば、結局、勤勉と 節約と いう 2つの 極めて 平凡な 心理が、忠実に 実践されているからに 外ならない。即ち、政治や 労働事情の 安定は 着実な 考え方の 結果で あり、輸出の 増進と 国際収支の 改善は 勤勉なる 働きと 消費節約の 賜である。また、通貨価値の 維持は 勤勉と 節約ー貯蓄の 結果に 他ならない。
最近、欧米諸国の 例に 倣い、我国に おいても 生産性向上運動が 唱えられ、技術援助協定により、米国から 技術を 始め、科学的経営管理法等を 輸入し 生産性の 向上を 図ることが 企図されているが、しかし、如何なる 生産性向上対策も 国民の 積極的な 勤労意欲の 高揚なくしては 効果を 挙げ得ないであろう。従って、まず 国民の 安易な 生活態度を 一変せしめ、勤労精神と 貯蓄心を 喚起することが 先決問題である。 (筆者は住友銀行頭取)
ニューヨーク、シカゴなどの大ビルディングのエレベーターは大部分、中年もしくは老年の婦人によって働かされている
という記載は、中年もしくは老年の婦人が、エレベーター管理会社(or 保守会社)の社員として、エレベーターの保守・エレベーターに利用者が閉じ込められた際の救出などをしているという意味ではなく、中年もしくは老年の婦人が、エレベーターガールをしているという意味であると思われる。
なお、昭和29年当時の日本には、特殊な事情があったのかもしれないが、現代の日本では、デフレーション、かつ、深刻な不況時に、勤勉、節約、預金を国民に奨励することは禁忌であるとされている。つまり、現在の日本では、デフレーション、かつ、深刻な不況時には、消費、借金(住宅ローンなど)(←もちろん、貸し手、借り手の双方に、結果に対する自己責任が求められるが)を国民に奨励することになっている。
『新編 新しい社会 公民』(中学校社会科用。文部科学省検定済教科書。発行者:東京書籍株式会社。平成17年3月30日検定済。平成18年2月1日印刷。平成18年2月10日発行。教科書番号:2 東書 公民909。ISBN:4487120438)p 135でも
景気の波を平坦にし、物価変動を和らげるために中央銀行の行う政策が金融政策です。不景気が深刻なときには通貨量を増やそうとします。
と記載され、その具体例として、横に公開市場操作と預金準備率操作(←ただし、好況時と不況時の両方が載っている)がイラストつきで説明されている。せっかくだから、それを元にして、下記に中学校公民レベルの公開市場操作(不況時)と預金準備率操作(不況時)を示す。
【不況時の公開市場操作】
日本銀行は、公開市場で、民間金融機関から、国債や手形を買う。
→民間金融機関に通貨が渡される。
→通貨量が増える。
【不況時の預金準備率操作】
(民間金融機関は、預金の一定割合を準備金として保有しなければならない。この割合を預金準備率という)
日本銀行は、預金準備率を低くする。
→民間金融機関の貸出が増える。
→通貨量が増える。
不況時に、勤勉、節約を実行されても、物やサービスの生産が増えるだけで、価格が下落して、ますます、不況が深刻になるし、不況時に預金が増えても、民間金融機関は、貸すところがないので、そのようなことを奨励するべきではないとされている。
したがって、デフレーション、かつ、深刻な不況時には、消費、借金(住宅ローンなど)(←もちろん、貸し手、借り手の双方に、結果に対する自己責任が求められるが)を国民に奨励して、通貨量を増やさなければならないということになっている(←ちなみに、企業だけが借金をして、物やサービスを生産しても、それを消費する人がいなければ、その企業は赤字になり、最悪の場合には倒産するだろう)。
せっかくだから、この教科書の同じページに載っている『戦後の日本の景気循環』(←クリックすると拡大される)を下記に引用する。
1954年(昭和29年)1月を山とする投資景気があることを知ったので、引用した。ちなみに、その後の不況は、1954年(昭和29年)11月が谷であったので、上記の新聞記事の1ヵ月後の後は、景気が良くなっていったことが、上図から読解できる。
上図は見にくいので、下記に、文字の部分を書く。
第1循環 特需景気 山:1951年(昭和26年)6月、谷:1951年(昭和26年)10月
第2循環(37ヶ月) 投資景気 山:1954年(昭和29年)1月、谷:1954年(昭和29年)11月
第3循環(43ヶ月) 神武景気 山:1957年(昭和32年)6月、谷:1958年(昭和33年)6月
第4循環(52ヶ月) 岩戸景気 山:1961年(昭和36年)12月、谷:1962年(昭和37年)10月
第5循環(36ヶ月) オリンピック景気 山:1964年(昭和39年)10月、谷:1965年(昭和40年)10月
第6循環(74ヶ月) いざなぎ景気 山:1970年(昭和45年)7月、谷:1971年(昭和46年)12月
第7循環(39ヶ月) 列島改造ブーム 山:1973年(昭和48年)11月、谷:1975年(昭和50年)3月
第8循環(31ヶ月) 山:1977年(昭和52年)1月、谷:1977年(昭和52年)10月
第9循環(64ヶ月) 山:1980年(昭和55年)2月、谷:1983年(昭和58年)2月
第10循環(45ヶ月) 山:1985年(昭和60年)6月、谷:1986年(昭和61年)11月
第11循環(83ヶ月) バブル景気 山:1991年(平成3年)10月、谷:1993年(平成5年)10月
第12循環(63ヶ月) 山:1997年(平成9年)5月、谷:1999年(平成11年)1月
第13循環 山:2000年(平成12年)10月
【おまけ】(←2007年5月16日以降に記載した)
2006年(平成18年)2月10日に実施された大阪教育大学附属高等学校 平野校舎の高校入試の社会で、おもしろい問題が出題されたので、下記に引用する。
2006年(平成18年)2月10日実施 大阪教育大学附属高等学校 平野校舎 社会
大問5 小問5
第2次世界大戦の最中、日本政府は“進め、一億火の玉だ!”や“一億玉砕(ぎょくさい)”などのスローガンを作って戦ったが、実際の日本の人口は約7300万人であった。政府は“一億”の意味をどのように考えてこのスローガンを作ったのか、次の中から最もふさわしいものを一つ選び記号で答えよ。
ア. 朝鮮、台湾など植民地の人々を含めたら、約一億人だったから。
イ. 日本が戦っていた当時の中国の人口が、約一億人だったから。
ウ. 日清戦争、日露戦争の時より戦死者が大幅に増えるであろうと覚悟していたから。
エ. 政府は“生めよ、増やせよ!”のスローガンを作って人口増加奨励(しょうれい)策をとり、 人口一億人をめざしていたから。
答:ア
上記は、国立高校の入試であるが、戦時中の日本(内地のみ)の人口が一億人未満であることが、高校入試の社会の問題の題材として取上げられた事例である。
なお、上記の出典は、『2007年受験用 全国高校入試問題正解 社会』(初版発行:2006年5月23日。発行所:株式会社 旺文社。ISBN:4010211539)p 250である。
【おまけ その2】(←2007年5月19日以降に記載した)
『文藝春秋 2007年6月号』(雑誌07701―6) p143の『特集・昭和の陸軍 7「空気」に支配された集団―阿南惟幾と梅津美治郎』から、興味深い発言を下記に引用する。
半藤一利氏の発言
泊まりこみといえば、海軍の実松から聞いた話ですが、昭和17年8月に彼がアメリカから帰国してみて非常に驚いたのは、6時になったら陸海軍省の灯りが消えていたということだそうです。アメリカ側は毎晩、徹夜で現状分析をしていたというのに。
同書 p136の保阪正康氏の発言によれば、実松とは、実松譲氏のことらしい。そして、実松譲氏は、ある時期、海軍の軍令部にいた大佐らしい。
【参考】(←2007年8月2日以降に記載した)
私が作成したブログ記事である
http://supplementary.at.webry.info/200707/article_5.html
の昭和11年(1936年)4月25日付 東京朝日新聞に
昭和11年頃、少なくとも、新婚時は、夫が帰宅すると、新妻が、笑顔で出迎えることが、慣習だったのではないか?
と読解できる記事がある。
ところで、新聞記事の著作権は原則として、公表後50年であるらしい。そのへんに関しては、下記サイト参照。
『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AE%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%9C%9F%E9%96%93
なお、このブログ記事に関しては、自由に使用してよいものとする。ただし、公民の教科書や雑誌からの引用箇所に関して、引用を希望する場合は、自己責任で引用してください。さらに、特殊な漢字や文字、用法が用いられていたが、現在、一般的に用いられているであろう漢字や文字、用法に直して載せたことも念のため、断っておく。
ちなみに、産業経済新聞大阪版は、大阪府立中央図書館で紙にコピーしたものを手入力したものである。
|
ブログ気持玉
クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
トラックバック(8件)
| タイトル (本文) |
ブログ名/日時 |
割引国債とは
現在発行されている国債の償還年限別に関してですが、最も期間の短い国債として、いわゆるTB=割引短期国債がございます。
...続きを見る
|
郵便局ではじめる国債投資!国債入門 2007/05/01 23:12 |
信用残は要注目
信用取引における信用買いとは安く買い高く売ることを目的とした取引きで、信用売りは信用取引におきましては高く売り安く買い戻す取引です。
...続きを見る
|
信用取引で株初心者が儲ける為の信用取引入... 2007/05/02 03:30 |
ユーロ圏中銀外貨準備、1億ユーロ減
本日付けのロイターの記事によりますと、欧州中央銀行(ECB)が発表した4月27日時点のユーロ圏各国中央銀行の外貨準備は1億ユーロ減少しました。
...続きを見る
|
オフショアで資産運用!タックスヘイブン入... 2007/05/03 11:16 |
市場操作(オペレーション、オペ)
◎市場操作(オペレーション、オペ) 日本銀行が手形や国債を短期金融市場で売買し、...
...続きを見る
|
知って得する豆知識 2007/05/13 11:39 |
公開市場操作の「買オペ」と「売オペ」
◎国債買オペ(レポ取引) 中長期国債を対象としたオペですが、日本銀行が国債を借り...
...続きを見る
|
知って得する豆知識 2007/05/13 11:59 |
預金準備率操作とは
◎準備預金制度 市中金融機関は、預かっている預金や信託の一定割合を日本銀行の当座...
...続きを見る
|
知って得する豆知識 2007/05/13 12:23 |
シワって何ですか?
シワって、どうしてできるんでしょうか?シワの定義について調べてみると、シワとは医学的にはこういう表現がされています。「後天的に生じた皮膚のゆがみ、あるいは表皮から真皮へ...
...続きを見る
|
美容 外科の評判・口コミ@教えて!美容 ... 2007/06/22 22:17 |
中国、特別国債25兆円発行 「外貨投資」設立へ資金調達
新華社電によると、中国政府は27日、1兆2000億ドルを超える世界最大の外貨準備の海外運用に向け、年内に設立する「国家外貨投資公司」について、財政省が1兆5500億元(約24兆8000億円)の特別国債を発行し、約2000億ドルの外貨を購入する資金調達方針を明らかにした。政府が同日、北京で開会中の全国人民代表大会(全人代)常務委員会に提案した。 中国政府は5月、外貨準備の海外運用第1弾として米投資ファンド、ブラックストーン・グループに30億ドルを投資すると発表。今回の提案が全...
...続きを見る
|
中国ニュースブログ、まるごと中国ニュース 2007/06/28 22:31 |