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zoom RSS 昭和29年頃までの高校では選択科目が多かったらしい。

<<   作成日時 : 2007/04/29 12:07   >>

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産業経済新聞 大阪版 昭和29年(1954年)10月6日 水曜日 7面
高校 教育 課程  改善案 近く 答申  倫理科 特設せぬ 文、理科コースを 明確化

 高校 教育 課程 改編を 検討中の 教育 課程 審議会(会長 東京学芸大学長 木下 一雄 氏)は 5日 午前 9時半から 東京 港区 有栖川公園 内 都立 教育 研究所で 開かれ、高校 教育 課程 改善案に ついて大体 結論を 得た もようで 来る 14日の 会合で 最終案を 作成、月末までに 大達 文相に 答申する。高校 教育 課程の 改善は
現行 教育 課程が 科目の 大幅な 自由選択が 許されて おり、その 運営が 難しい こと
高校の 実情に 即さない こと などの 理由から
それぞれの 課程の 特色を 生かし、生徒の 発達段階に 応じた 単位制を 再検討しようと いう ねらいで、一昨年来 審議が 重ねられ 昨年 11月には 中間試案が 発表された。ところが その後、この 試案に ついて 高校はじめ 各方面の 反対が 強く 同審議会は メンバーを 刷新して 根本的に 改善案を 練り直して いた もので ある。中間試案と 今回の 最終結論の 相違点は
一、中間試案に 盛られて いた 倫理科、新教科(作業を 主と する もの)は 特設しない。

一、中間試案では 明確に されなかった コース別 選択を 明らかに し 全日制 普通 課程では 第二学年から 文科を 主と する コース、理科を 主と する コースに わける。

一、共通 必修 43単位は 多すぎるから 40単位 前後に 減らす。

の 3点が あげられる。この 改善は 中間試案より さらに 選択制が 狭められ、コース別 選択が 明確化した ことは 旧制高校の 文科、理科復活の 臭が 強く、高校を 大学 予備校と しての 形に 一歩 押し進めた ものと して 注目される。また、逆コースと して 問題に なって いた 倫理科、作業を 主と した 新教科が 一応 影を ひそめた ことは 倫理は 社会科の 中で、作業を 主と する 新教科は 芸能科の 中で 十分 消化 出来ると いう 考え方と みられて いる。改善案の 主なる 点 つぎの とおり。

▽共通必修科目=普通課程と 職業課程の 共通 必修 単位は 中間試案では 最大限 43単位と きめられて いるが、これでは 多すぎ、特に 職業課程高校では 重荷と なって 技術教育が 不可能なので 40単位前後に 減らす。

▽コース別選択=2学年以降は 文科を 主と する ものの 科目群(例えば 国語、社会など)、理科を 主と する 科目群(例えば 理科、数学など)に わけて 選択させる。

▽倫理科=哲学倫理思想を 教える 教科は 新しい 社会科の 中へ 解消させる。

▽数学科=科学教育を 重視する 立場から 単位数を 増し 最低 6単位から 9単位と する(理科 コースは 文科より 単位を 多く とる

▽国語科=3 または 4単位

▽理科=最低 4単位から 6単位(理科コースは 多く とる

▽芸能科=中間試案では 必修教科と されたが、選択教科と する 論が 強い。


 上記新聞記事からは、昭和29年頃までの高校では、選択科目が多かったのではないかということが読解できる。

 以下、余談の箇所まで、現時点で、私が理想としている教育の一部を記載する。
 私は、現行の高校に選択科目がそれなりにあるのは問題であると思っている(←以下、大学に進学する生徒の割合が多い高校を想定する。工業高校、商業高校などはここでは、想定しない)。
 高校に選択科目があるということは、大学入試にも選択科目があるということである。ということは、大学入試でどの科目を選択するかで、合否が決定するという事態が起きかねない。そういう事態になると、高校生は、どの科目を選択するかの情報収集をして、検討することに多大な時間を費やすことになるだろう。そういうくだらないことに時間を費やせるのは余りにも無駄である。そういう時間は、勉学や、将来の進路を決定するための情報収集、レジャーなどに当てた方が、高校生にとっても有意義だろうから。
 もちろん、そういう事態を避けるために大学側で選択科目の出題内容などを調整するという方法もあるが、そういう調整はなかなかうまくいかないものである。
 したがって、現行の高校で、科目を選択するという方法はやめて、全生徒に、 国語、地理歴史(世界史B,日本史B, 地理B)、公民(倫理、政治経済、現代社会)、数学(数学T、数学U、数学V、数学A、数学B、数学C)、理科(物理T、物理U、化学T、化学U、生物T、生物U、地学T、地学U )、保健体育、芸術(音楽T、音楽U、音楽V、美術T、美術U、美術V、工芸T、工芸U、工芸V、書道T、書道U、書道V )、英語、家庭、情報を必修科目として履修させるべきである。
 もっとも、高校の3年間では、上記科目を全て履修させるのは、時間的に無理だろう。したがって、上記科目のうち、理科の実験や実習以外の実技の部分(←体育でバレーボールをすること、美術で絵を描くことなど)は、除くものとする。
 それでも、まだ、高校の3年間では、上記科目を全て履修させるのは、時間的に無理だろう。そこで、大学に入ってから、1年目〜2年目(←以下、話がややこしくなるので、便宜上、「大学の教養課程」と呼ぶことにする)も、そういう履修に当てさせることとする。
 読者の中には、大学の教養課程には、そこで学ぶべき科目があるから、それ以外の科目を履修する時間的余裕はないと考える人もいるかもしれない。
 しかし、ほとんどの大学の教養課程では、そのようなことは杞憂であると思われる。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/noyori/p2.html
からの下記引用を参照してもらいたい。ちなみに、引用中の野依博士とは、現在、教育再生会議座長として、新聞などのマスコミで話題になることもある野依良治氏のことである。

1957年、野依博士は第一希望の京都大学工学部へ進学しました。工学部はみんながあこがれていた花形の学部でした。しかし野依博士はあまり勉強をせずに、大学に入ってから覚えた麻雀や酒にあけくれる日々を送っていました。さらに、自分で作った野球チームのメンバーたちと酔っぱらって商店のショーウィンドーを壊すという大事件をおこしてしまいました。


 少なくとも、1957年(昭和32年)当時の京都大学工学部の教養課程では、時間的余裕がたっぷりあったことがわかる。

 なお、本論とは関係ないが、野依良治氏の発言を知りたかったら、下記ブログ記事もお薦めである。
http://plaza.rakuten.co.jp/shounenhanzai07/diary/20070630/

 また、大学の教養課程は大学から独立させるべきだろう。つまり、大学の教養課程を修了した後に、入試を行って、現行の大学の3年目以降(←以下、話がややこしくなるので、便宜上、「大学の専門課程」と呼ぶ)に進ませるべきだろう。例えば、高校生が、札幌大学の教養課程に進学した後、入試を受けて、合格したら、京都大学の専門課程に進学できるようにする。
 このようにすれば、上記引用のように、大学の教養課程で無駄な時間を費やす者も激減するだろう。大学の教養課程でほとんど、勉学をしなければ、大学の専門課程は非常にレベルの低いところに進学する羽目になるのだから。
 また、このようにすれば、学生が講義を、現状よりさらに熱心にきき、家庭での勉学も熱心にするようになるので、大学の教養課程の教官(講師など)は喜ぶだろう。
 さらに、田舎の経営難の私立大学も、経営が良くなる可能性がある。というのも、現状では、田舎の高校生が、高校を卒業した後、都会の大学卒の学歴を得たかったら、都会の大学の教養課程に進学する以外の方法はない(←もちろん、例外もあるが、ほとんどの人の場合、こうである)が、東京大学や京都大学などの人気のある専門課程の入試対策さえすれば、田舎の高校生が、そういう私立大学の教養課程に進学する可能性があるからである。
 もちろん、高校、大学の教養課程で学ぶ科目は文部科学省が全国一律に決定するべきであるし、さらに、大学の教養課程の入試、大学の専門課程の入試には、高校、大学の教養課程で学ぶ科目の配点割合をある程度、文部科学省が決め(←例えば、高校で学ぶ世界史の入試配点は、大学の教養課程における入試の点数の合計の2%以上、なければならないなど)、それを守らない大学は、つぶすべきだろう。大学の教育は、学生のためにあるのであって、大学当局のためにあるのではないのだから。

 余談であるが、昭和40年代の北海道内の高校でも、未履修はあったらしい。せっかくだから、下記に、載せる。ただし、投稿者の実名はプライバシー保護のため、省略した。なお、下記引用は、北海道内の某市立図書館で紙にコピーしたものを手入力したものである。ちなみに、その某市は、『昭和61年 全国人口・世帯数表』によれば、人口が15万人以上、35万人以下であった。

北海道新聞 夕刊 昭和43年(1968年)4月30日 火曜日 6版 2面 読者の声
高校教育とは 何か

 私の 娘は、今春、待望の 高校に 入学を 許され、親子 ともども 大喜び いたしました。希望に 胸を ふくらませながら 通学して おりますが、先日 初めて 学校参観が ありました。学年懇談の 際、学年主任の 先生が 開口一番、1日 最低 4時間は 絶対 勉強させるようにと 言われ、まず どぎもを 抜かれました。それからは 進学の 話ばかり。辞典は 金に 糸目を つけず 与えて ほしい。成績は 必ず 張り出す隣市の 高校は ことし 北大に 25人も 合格し、すっかり 水を あけられた。来年は なんとしても がんばって もらわねば ー 等々。この 学校に はいった 以上、必ず 大学を 受けなければ ならないような 錯覚に とらわれて しまいました。

 聞けば 音楽、美術の 授業は なく、その 時間は 英語、数学などの 授業に 充てられて いる よし。最近、マスコミなどで 予備校化している 普通高校の 問題が、種々 取り上げられて いますが、娘を 高校に 上げるまでは、これほど ひどいものとは 思いませんでした。一体 高校教育とは なんでしょうか。大学へ はいる ための ものでしょうか。理想は 理想、現実は 現実と 言われるかも しれませんが、なんとも すっきりしない 気持ちで 家路に ついたのは 私だけだったのでしょうか。(砂川市40歳・主婦


この読者投稿を読んで、私が
この学年主任の先生は、いいことをいっているな〜。もっとも、実際には、1日4時間どころか、1日30分以上、勉強した生徒さえほとんどいなかっただろう。また、授業を真面目に聞き、1日、2〜3時間も家庭学習していれば、東大文科や京大の文系への合格間違いなしという状態であったはずである。

と思ったのはいうまでもない。
 ちなみに、この読者投稿で、娘が通学している高校は、北海道内の公立高校であると推定されるが、昭和41年度〜昭和47年度の北海道の道立高校の通学区域(学区)制度は、大学区制であり、学区数は8個であった。具体的には、全道8学区の大学区制であり、学区外就学枠は10%であった。

 せっかくだから、『昭和61年 全国人口・世帯数表』による北海道内の市人口上位10位などを書いてみる。

第1位:札幌市:約152万9千人
第2位:旭川市:約36万3千人
第3位:函館市:約31万8千人
第4位:釧路市:約21万5千人
第5位:小樽市:約17万4千人
第6位:帯広市:約16万3千人
第7位:苫小牧市:約15万8千人
第8位:室蘭市:約13万9千人
第9位:北見市:約10万6千人
第10位:江別市:約8万9千人
・・・中略・・・
第14位:滝川市:約5万2千人
・・・中略・・・
第24位:夕張市:約3万2千人
・・・中略・・・
第29位:砂川市:約2万5千人


 ついでに、『第五十四回 日本統計年鑑』(平成16年11月発行。編集:総務省統計局。発行:日本統計協会。毎日新聞社。ISBN:4822329593)p 37の『2-5 都市別人口平成15年)』による平成15年(2003年)の北海道内の市人口上位10位などを書いてみる。なお、赤字は、昭和61年より人口が増えた市、青字が昭和61年より人口が減った市である。

第1位:札幌市:183万7901人
第2位:旭川市:36万995人
第3位:函館市:28万3373人
第4位:釧路市:18万8093人
第5位:帯広市:17万2703人
第6位:苫小牧市:17万2022人
第7位:小樽市:14万7196人
第8位:江別市:12万2828人
第9位:北見市:11万715人
第10位:室蘭市:10万1138人
・・・中略・・・
第17位:滝川市:4万6365人
・・・中略・・・
第29位:砂川市:2万571人
・・・中略・・・
第32位:夕張市:14438人


 ちなみに、昭和25年頃の大阪府の公立高入試についても、記載されている
http://kinran.jp/seminar/107/index.html
の『28年卒 男性のお話』によれば
入試は府下一斉のアチーブメント・テスト(achievement test)で行われ、全ての大阪府立高校で同一の内容、英語は無し

だったらしい。

 せっかくだから、原因が不可解な自殺の新聞記事を下記に載せる。

北海道新聞 昭和43年(1968年)4月5日 金曜日 16版 15面
進学を 目前に 自殺 浜頓別 高校に パスしながら

浜頓別】 4日 朝、宗谷管内 浜頓別町で、この 3月 高校入試に 合格、喜びの 入学式を 目前に した 少年が 自殺した。

 同町 字 宇曽丹、農業、Aさん(42歳男性)の 長男、B君(15歳)が 2日 午後 4時ごろ 家を 出たまま 夜に なっても 帰らないので、家族、部落民、警察などが 付近の 川や 山を 捜して いた ところ、4日 午前 9時 20分ごろ 自宅から 5 ` 離れた 山林で 首を つって 死んで いるのを 発見した。

 中頓別署の 調べでは B君は 中学校時代の 成績も よく、浜頓別高校の 入試には 上位で 合格、8日が 入学式と なって いた。しかし 2月ごろから 毎夜の ように おそくまで 受験勉強して おり、合格発表後
疲れたから しばらく 勉強を 休む。

と 家人に いって いたと いう。

 B君の 家は この 地方では 中以上の 農家。2日 午後 4時すぎ 父親は テレビを 見ながら 寝入り、母と 妹が 同町 下頓別市街に 祖母を 迎えに 行って いたので その 間に 家を 出た もの らしい。


 まず、入試のために、睡眠時間を削って、勉強する必要は全く ない ことを、書いておく。

 このことは、私が書いたブログ記事である
http://supplementary.at.webry.info/200705/article_14.html
の『教育改革の幻想』(著者:苅谷剛彦。発行所:株式会社 筑摩書房。2002年1月20日第1刷発行。2004年4月10日第8刷発行。ちくま新書329 ISBN:4480059296)を引用した箇所を読めば実感できるだろう。

 それにしても、上記新聞記事の自殺の原因は、不可解である。浜頓別高校に入学してから、高校に失望したというわけでないのに、入学前に自殺しているのだから。しかも、下層階級というわけではなく、中以上の農家の長男なのだから。

おまけ】(←2007年6月7日以降に記載した
 野依良治氏の出生〜高校時代までは、下記サイトにも記載されているので、そのURLを載せる。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C939037033/E20070208183746/index.html

 ところで、新聞記事の著作権は原則として、公表後50年であるらしい。そのへんに関しては、下記サイト参照。

フリー百科事典 ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AE%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%9C%9F%E9%96%93

 なお、このブログ記事に関しては、自由に使用してよいものとする。ただし、昭和43年の北海道新聞について、引用したい場合は、自己責任で引用してください。さらに、特殊な漢字や文字、用法が用いられていたが、現在、一般的に用いられているであろう漢字や文字、用法に直して載せたことも念のため、断っておく。
 ちなみに、産業経済新聞大阪版は、大阪府立中央図書館で紙にコピーしたものを手入力したものである。


















 





 











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