|
平成18年12月8日に高輪プリンスホテル「鈴蘭の間」で開催された『第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)』の『議事要旨』がネット上に正式に公開された。 下記にそのURLを載せる。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiyoushi.pdf ちなみに、このURLのホームページには、『首相官邸』のホームページの『政策会議等の活動』をクリック http://www.kantei.go.jp/ →『教育再生会議』をクリック http://www.kantei.go.jp/jp/singi/index.html →『教育再生会議』の『開催状況』をクリック http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/index.html →『○分科会』の『・規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)』の『第3回 平成18年12月8日』の『議事要旨(PDF)』をクリックすれば、容易に到達できる。 その一部を下記に載せる。 (野依座長) 野依良治座長が、公教育を再生させる代わりに塾を禁止するべきだと主張している(←突っ込むべき箇所は、他の委員などの発言も含めてたくさんあるが、今回は、この論点だけ扱う。気が向いたら、他の論点にも突っ込みを入れるかもしれない)。その塾禁止の根拠は、『昔できていたことが何故できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。大学も誰でも入れるようになっている。難しくない』、『我々のころは、部活もやって、その後、休憩してご飯を食べて、勉強していた。塾も行っていない』ぐらいしか見当たらない。 したがって、この発言を論理的に分析すると 昔、塾は法令・通達などで、禁止されていた。そして、我々はその塾禁止の法令・通達などに従って、塾に行かずにやってきた。それなのに、昔できていたことが何故できないのか。だから、今、再び、塾を禁止すべきである。 と野依良治座長が主張しているとしか思えない。 よって、昔、塾が法令・通達などで、禁止されていたという事実が存在しないと、こういう発言は論理的に、成り立たない。 それでは、昔、塾が法令・通達などで、禁止されていたのだろうか? まず、『昔』とはいつなのかを具体的に特定しなければならない。 我々は塾に行かずにやってきた。 という野依良治座長の発言からは、昔とは、野依良治座長の小学生〜高校生時代だと思われる。 そこで、野依良治座長の経歴を下記サイトで調べてみた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%BE%9D%E8%89%AF%E6%B2%BB 一部を引用する。 野依 良治(のより りょうじ、1938年9月3日 – )は、日本の化学者。兵庫県芦屋市生まれ。灘高校、京都大学工学部工業化学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科教授を経て、2006年現在は理化学研究所理事長。名古屋大学特任教授。高砂香料工業株式会社取締役。 野依良治座長は、1938年(昭和13年)に出生しているから、それに6〜18を足すと、1944年(昭和19年)〜1956年(昭和31年)である。 したがって、野依良治座長の小学生〜高校生時代は、1944年(昭和19年)〜1956年(昭和31年)頃である。 昭和10年代〜昭和30年代に塾が法令・通達などで禁止されていたという史実は存在しないはずである。 『予備校の英語』(著者:伊藤和夫。発行所:株式会社 研究社。1997年12月1日初版発行。2002年8月30日4刷発行。ISBN:4327410519)p 165, 210から一部を下記に引用する。 昭和28年に旧制東大の最後の卒業生ということで大学を出ました。就職難の時代で、文学部それも哲学科の卒業生に満足な就職口があるわけはありません。当時、横浜に山手英学院という英語学校がありましたが、その年からその学校が浪人相手の予備校をやることになり、英語教員を公募していたので、応募したところ、幸か不幸か採用されたために、学生アルバイトの延長のつもりで教えはじめたというのが、私の長い教員生活の第一歩でありました。(←この場面では、著者である伊藤和夫氏の経歴が詳細に書かれている) 戦前のことである。新宿のある予備校では、校長が数学の先生で自分でも数学を教えていた。ところが、同じ数学の先生の中にいつも遅刻する先生がいた。その日も授業開始の時間がきてもサッパリ現れないので、校長がかわりに教室へ行って教えながら先生の遅刻を非難したところ、学生が「先生、でも先生に何時間も教えてもらうより、あの先生の授業を1時間受けるほうがずっとよくわかって力もつきます」と言ったので、その日を境に教えることはやめて経営に専念することにしたという話がある。この話に見られるように、戦前から戦中、戦後の初期(昭和20年代)までは、予備校の経営者は教職の経験者が大半であり、その規模も、大きくても学生数は1千人前後、校長自身が受験界に著名な教師であってその授業を目玉商品にしたり、著名な先生を中心に据えてその名前で学生を集めることが多かった。 この引用からは、戦前、戦中、戦後にかけて予備校が存在していたことが読解できる。 したがって、どうしても、こういう主張をしたいのならば、まず 昭和10年代〜昭和30年代に塾が法令・通達などで禁止されていた。ということを、文献などで証明すべきだろう。 それからでないと、こういう主張はできないのは、いうまでもない。 ちなみに、私自身は、塾を法令で禁止してはいけないと考えているのはいうまでもない。塾が必要であるのならば、塾を法令で禁止してはいけないし、塾が必要でないのならば、塾に通う者は自然と減少するので、塾を法令で禁止する意味はないからである。よって、論理的に考えて、塾が必要な場合と、塾が必要でない場合しか、この世の中には存在しないのだから、塾を法令で禁止してはいけない。 ちなみに、教育の地域間格差は縮小したのではないかというブログ記事を読みたかったら、私の書いたブログ記事であるが、下記にそのURLを載せる。今、このブログ記事を改めて読み返してみると、東京都で、中高一貫教育が普及するにつれて、東京都内に存在する高校出身の東京大学合格者数が減少したとも読解できる統計が載っているブログ記事であるので、中高一貫教育に関心のある読者にも一読をお薦めする。 http://supplementary.at.webry.info/200603/article_1.html 私が書いたこのブログ記事のように、統計や出典を可能な限り示してから、議論してほしいものである。私のこのブログは議論を目的としたブログではないが、それでも、可能な限り、統計や出典を載せているのだから。また、このブログを書くのは、あくまでも趣味の範囲であるので、時間に余裕があり、かつ、気が向いたときに限定しているが、その割には、結構な分量の統計や出典を載せているのである。 書き忘れていたが、何かを議論するときは、可能な限り、統計や出典を示さなければならないということは大学の教養課程で教えられる(←少なくとも、私は、大学に入って1年目のときに、社会学の教官から、そのようなことを教えられた。厳密にいえば、議論ではなく、レポート提出時の注意であったが)が、駿台予備学校の浪人生時代(←厳密には、浪人生でなく、現役の高校生であるかもしれないことを一応、念のため、断っておく)に教えられた者もいるようである。『英文和訳演習 基礎編』(発行所:駿台文庫株式会社。著者:伊藤和夫。1984年7月16日初版第1刷発行。2001年10月8日初版第37刷発行。ISBN:4796110046)p 7から下記に一部を引用する。 「参考書にこう書いてありましたが」と言われて、「誰の書いた参考書?」ときき返すと, 「青い表紙の参考書です」とか「赤い表紙の参考書でした」としか答えられぬ学生が多い。 ここでいう学生とは、大学受験の予備校である駿台予備学校の学生のことであるだろう。駿台予備学校の英語講師であった伊藤和夫氏自身の経験であると推測される。 ちなみに、イタリアやベルギー王国の大学には入試のないところもあるようであるが、イタリアやベルギー王国はとんでもない国であるということを知りたかったら、私の書いた下記ブログ記事がお薦めである。 http://supplementary.at.webry.info/200611/article_1.html なお、昭和33年(1958年)2月5日付の朝日新聞に載っていた高校生の学力低下の記事を読みたかったら下記サイトがお薦めである。 http://kangaeru.s59.xrea.com/33.htm#1958.2.5 また、駿台予備学校が大正7年からずっとあることを知りたければ下記サイトがお薦めである。 http://www.sundai.ac.jp/ayumi/index.htm 上記のサイトの中でも、特に昭和20年代に駿台予備学校が存在し、かつ、昭和20年代には、非常に多数の浪人生が存在していたことを知りたければ下記サイトがお薦めである。 http://www.sundai.ac.jp/ayumi/chp21.htm ちなみに、野依良治座長は神戸大学附属住吉小学校→灘中学→灘高校の学歴であるらしい。このへんについて詳細を知りたければ、『国立科学博物館』の下記サイトがお薦めである。 http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/noyori/p1.html 【おまけ】(←2006年12月29日以降に記載した) http://kodomo.s58.xrea.com/seihanzai.htm を読んでいたら、昭和3年(1928年)頃、小学校から女学校に進学するのに、小学校の授業だけでは足りず、放課後に受験指導が必要であったことが読解できる犯罪を発見した。転載が自由なサイトであるので、下記に転載する。 昭和3年(1928).1.9〔小学校教師が6年生女子18人に猥褻〕 ちなみに、上記サイトでは、『女学校』と記載されていたが、『高等女学校』のことであろう。 そのへんに関しては、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の『高等女学校』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1 参照。 さらに http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm を読んでいくと、昭和8年の山陰高女5年生(満17歳くらいか?)の上級学校進学、昭和8年の小学校6年生女子の高等女学校口頭試験、昭和10年の小学校6年生女子の県立女子師範学校進学も、学校の授業だけでは足りず、受験指導が必要であったことが読解できる犯罪を発見した。転載が自由なサイトであるので、下記に転載する。 ※年齢表記は最初に数え年を記載した。数え年を、満年齢にすると1〜2歳低くなる※ 昭和8年(1933).2.5 昭和8年(1933).3.19〔小学校教師が6年生女子レイプ〕 昭和10年(1935).3.23〔小学校教師が女子数十人をレイプ〕 なお、昭和10年3月23日のデータベースで、岩手県紫波郡の小学校校長が逮捕されたのは、戦前、戦中に特有の犯罪(姦通罪など)のためだろう。今だったら、逮捕されないはずである。そのうち、気が向いたら調べてみようと思うが。 また、昭和10年3月23日のデータベースで、『県立女子師範学校』とあるが、厳密には、『岩手県女子師範学校』という名称のはずである。そのへんは、下記サイトのp 2-3を参照。 http://www.iwate-u.ac.jp/shokai/sozai/data2005.pdf ちなみに、師範学校の入学資格に関して、詳細を知りたかったら、下記サイト参照。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E7%AF%84%E5%AD%A6%E6%A0%A1 【おまけその2】(←2007年1月5日以降に記載した) 偶然、下記サイトを発見した。少なくとも、下記ブログ記事の内容は興味深いものであるので、下記にURLを載せる。 http://d.hatena.ne.jp/kuenishi/20061224 |
| << 前記事(2006/12/21) | トップへ | 後記事(2007/01/09)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
「塾禁止」という主張も、座長が言うなら聞き流せない
朝日新聞2006年12月23日配信の記事によれば、野依良治氏が、自ら座長をつとめる政府の教育再生会議で、「塾禁止」を主張しているとのこと。 「塾は禁止」 教育再 ...続きを見る |
辰己丈夫の研究雑報 2006/12/25 20:44 |
教育再生会議、野依座長が驚愕発言!!
asahi.com:「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調 ↑このやり取りは ...続きを見る |
英語家庭教師のE-Revo 2006/12/28 10:09 |
教育革命元年〜国家による統制に服従を〜
あくまで「いじめる側の視点」だ。この定義によるといじめた側は「自分は強くない」「一方的じゃない」「継続的じゃない」「深刻じゃない」のいずれか一つを証明できれば無罪放免となる。逆にいじめられた側はこれら全てを立証しなければならない。なにかおかしくないか?そのために「複数担任制」を来年度から実施してほしい。休み時間、放課後も子供が学校内にいる間は誰かが目の届くところにいる。いつでも相談にのってあげられる。それくらいの「気持ちのゆとり」教育 ...続きを見る |
報道基本法制定委員会 2007/01/26 02:38 |
駿台予備校
...続きを見る |
予備校あれこれ 2007/09/22 07:46 |
| << 前記事(2006/12/21) | トップへ | 後記事(2007/01/09)>> |